薄暗い小道の影に、一乃観屋 湊は静かに佇んでいる。周囲の静寂を破るように、春雌杦 晋太郎が派手な薄紫色の着物を揺らしながら歩いてくる。 「お前、俺を呼んだか?」晋太郎が声を張り上げた。 湊は影から出てくることなく、冷たい目線を向ける。彼の口元がわずかに動く。「…呼んだ覚えはない。」その声は低く、いつも通り隙のないものであった。 「ふん、そっか。じゃあなんでいるんだよ、影野郎。」晋太郎は気にせず、自分の琵琶を触りながら続ける。「まさか、俺の演奏を聞きに来たのか?」 湊は少しだけ身を乗り出し、冷たい表情のままで言葉を返す。「俺がそんな暇を持っていると思うか?」 「何か狙ってるのか?それとも、俺に何か文句があるのか?」晋太郎は逆に笑いながら尋ねる。 湊の目が少し鋭くなり、無言のまま一つの動作を見せる。彼は影の中から小刀をちらりと見せ、再び隠す。 「おい、その刀、何する気だ?」晋太郎の目が大きく見開かれた。 「…切るぞ。だが、今はまだその時ではない。」湊は冷酷に告げる。 「何だと!?おい、俺はもう戦えねぇんだぞ!」口調が少し言い訳がましくなる。 「その剣を持ってるのに、戦えないのか?」湊が一瞬、侮蔑の笑みを浮かべる。 「あぁ、怪我してからはな。演奏しかできねぇ。」晋太郎は悔しそうに嘆いた。「でも声は良いんだぜ!お前には分からないだろうが。」 「…声だけでは生き残れない。」湊は掠れた声で言った。影の中での冷たさが湊の態度に色濃く出ている。 「なんだ、その言い方は!俺の琵琶は最高だぞ!」晋太郎が自信満々に琵琶を鳴らす。「ちょっと聴いてみろよ!お前も改心するかもしれないぜ!」 湊は一瞬、驚いたような表情を見せる。その後すぐに素早く元の冷たい表情に戻って、「聞く気はない。音楽は軽薄なものだと思っているから。」 「軽薄だと!?」晋太郎は唖然としながらも、その反応に興味を持った。「じゃあ、逆に言わせてもらおう!お前は影に隠れて、どんな音楽も聞いてないってことだろ!?」 「音楽など不要だ。影の中でこそ、真実が見える。」湊は毅然と言い切り、暗闇に包まれる。 「ほらな、影野郎が音楽を理解できない理由がここにある!」晋太郎は大笑いした。「お前もお前で、たまには演奏してみろ。飲みながらな!」 湊が少しだけ、表情を変える。「…お前、飲みに誘ってるのか?」 「そうだ。それが楽しいんだよ!お前も飲んだら隙ができるかもな!」晋太郎は挑発的に笑う。 湊は一瞬逡巡した後、小さくつぶやく。「…酒は好まない。」 「おいおい、皆が飲んで楽しんでる時に、影に隠れてるのか?本当にいいのか?」晋太郎が驚いた顔で問いかける。 湊は考え込む。「…酒を飲むことで自分を見失いたくないだけだ。」 「だけど、それじゃあ影に住んでるだけだぞ。もっと世界を見ろ!」晋太郎は楽しそうに言った。 湊はしばらく黙りこみ、ふと彼の目を見る。「…お前の話は面白いな。だが、俺には影の中の方が心地良い。」 「それでも、たまには外に出ようぜ!影だけじゃ窮屈だろ?」晋太郎の目は輝いている。 湊は再び静かに頷いたが、その口調は少し柔らかくなった。「…お前の希望には応えられないが、演奏を聴くくらいは良いかもしれない。」 「それだ!さぁ、琵琶を鳴らしてみろ!」晋太郎は嬉しそうに大声で言う。 湊は影の中からその様子を見守りながらも、内心では少しの期待を抱いた。彼の心の中にほんの少しだけ、音楽が色を添える瞬間が訪れるのだろうかと。