───────────────── 20代前半〜中盤 身長178㎝ 【魔化学の国】出身。 愛する者の為に全てを捧げるも、愛する者を失い、強大な力とその代償だけが残った青年。 ───────────────── 人が最も残酷になるのは、己が正しいと確信した時ならば、人が最も愚かになるのは、誰かを愛した時。そして人が最も悍ましくなるのは、その誰かへの愛が執着へと変わった時なのだろう。 ───────────────── 嘗ては『夢物語』だと笑われていた錬金術を研究していた。笑い話で終わらせない為に。 頼られるのは嫌いではなかった。 協力を申し出た際に相手が見せる、安堵の表情が心地良かった。 目的遂行の為、試行錯誤を繰り返すのも嫌いではなかった。 まるでパズルのピースが合うように、うまく噛み合った瞬間が心地良かった。 だが、人は嫌いだった。「全部あいつに押し付ければいい」と陰で笑っているのを知っていたからだ。嫌悪と呼ぶよりは畏怖と呼んだ方が早いだろう。傷付きたくないという不可視の不安がナイフのように鋭く研ぎ澄まされていった。気がつけば私は、どれだけの成功にも歓声にも目もくれず、僅かばかりの嘲笑だけに強い不快感を示す偏屈な存在だった。 成功を収めていく度に孤独になっていく。鬱屈した心情は、払わなくて良い代償すら伴った。そんな偏屈な私を、辛うじて人の形に留めていてくれたのは、恋人クリステラの存在だった。 ───────────────── クリステラは、よく晴れた日の昼下がりのような女だった。 繊細に見えて、物怖じせぬ振る舞い。穏やかで、よく笑う。なぜ私などと付き合っているのか分からない女だった。 私の成功を誰よりも喜び、失態すら笑い飛ばしてくれた。だから私は、何度も立ち上がれたのだろう。 「貴方が誰よりも優しいのは知っている」 誰にでも掛けられる、ありきたりな言葉だろう。それでもだ。何があっても笑ってくれる存在は何よりも価値がある。故に失うのが、堪らなく怖かった。 ……本当は卑屈な私を笑っているのではないか。私は不安を隠す為に、ただ近くに居た女に愛を囁いていただけではないだろうか。笑われ続けた心は、自分にだけ都合の良い影を生む。傷ついて砕けた心の破片。その切先が向くのは、いつだって助けてくれる相手だ。 彼女への不信感ではない。そんな女じゃないのは分かっている。分かっているんだ、誰よりも。クリステラを愛しながらも、自分へと深く突き刺さった不信感が、いつか己を食い破り、彼女に牙を剥かないか不安だった。 それは、彼女を傷つけてしまわないかなどという優しさでは無かった。彼女にすら嫌われてしまったらどうしよう。どうやって人の形を留めれば良いのだろう、などと言った無価値な執着心。愛と呼ぶには、あまりにも悍ましいエゴイズムだった。 そんな、虫の裏側の方がよっぽど可愛く見える、気色の悪い感情を隠した日常は思わぬ形で終わりを告げた。クリステラが大病を患い、余命宣告を受けたのだ。 ───────────────── 肝心な時に私の錬金術は役に立たなかった。戦禍の世だ。凡ゆる金属は戦場に駆り出され、姿を消していた。恐怖を紛らわせる為の酒も必要だったが、それよりも水が必要とされていた。己の成功すら否定されたような思いだった。 金の工面の為に何だってした。いつしか、あれ程までに気になっていた嘲笑すら耳に入らなくなった。それ程までにクリステラから笑顔が消えていくのが苦しくて堪らなかった。無理をしてほしくない。けれども悲しむ顔は見たくない、笑顔で居てほしい。矛盾する思いが己の無力さを呪った。不安そうな彼女に、金は心配するなと虚勢を張った。まるで命乞いをする醜い成金のように。しかし、貯金はみるみるうちに減っていく。その現実が私に囁いた。「所詮は伴侶でもない只の恋人など、捨て置けば良い」と。 だから壁に頭を打ちつけて黙らせた。最早自分が自分でコントロール出来なくなっていった。 正解が分からなくなった。あれ程までに探求していた『分からない』という感情が怖くなった。本当に彼女を愛しているのか、ただ己の『人の形』に固執していただけではないのかと。 私は理屈ばかりを振り翳して、賢くなったつもりでいる愚か者に過ぎないのではないかと。人間様のフリだけが上手くなった、獣以下の存在なのではないかと。 私がくだらない感情を捏ねくり回している間に、クリステラはみるみるうちに衰えていった。 それでも足を運び続けていたある日、クリステラから別れを告げられた。こんな私の存在など、さぞかし不快であっただろう。そんな思いと裏腹に、出てきた言葉は「何故」などと言う、独りよがりだった。 「どんどんボロボロになっていく自分を見られるのが怖い。自分のせいで貴方ばかりが苦しい思いをしているのが悲しい」 これ以上、負担になりたくないと、笑顔の消えた眼から涙を溢していた。 ……この期に及んでクリステラではなく、自分ばかりを見ていた己の至らなさに眩暈がした。本当に苦しくて悲しいのは私ではない。他でもないクリステラだ。 「本当に負担じゃない。この苦しみは君が必要な証だ。これからも側に居たい」 やっとの思いで吐き出した言葉は陳腐どころか、まるで人間の声を模した鳴き声のようだった。「愛してる」すら言えなくなった、信頼するに値しない愛の言葉。それでも彼女は優しかった。「ありがとう」と、震える声で紡いだ。 ───────────────── クリステラの病状は悪化の一途を辿っていた。とうとうベッドから起き上がれなくなり、抜け始めた髪を気にしていた。 当時の私はどうかしていたと思う。いつものように彼女に会いに行く……その前に、床屋へと足を運んだ。髪を整える為ではない。寒空の下、帽子を被り、彼女の所へと向かった。 そして彼女の前で帽子を脱いだ。本当に当時の私は1番どうかしていた。私の奇行に、クリステラは目を丸くした。無理もない。突然恋人が昨日まで生やしていた髪を全部剃って現れたのだ。人生でそんな馬鹿げた事をする日が来るとも思わなかった。君に出会ってから、知らない自分ばかりが出てくる。後で冷静に考えて、今度こそ別れを切り出されても文句は言えなかったが、それでも彼女は優しかった。ひとしきり笑った後に、目に涙を光らせ、私を抱きしめた。久しぶりに彼女の笑顔が見られて、心は晴れやかだった。 その帰り、以前から声を掛けられていた研究所へ向かい、1年後に己を被験体として提供する旨が記載された契約書に署名した。借金を帳消しにし、莫大な契約金を前報酬で手に入れる為に。奇跡が起きて、クリステラの病気が完治した時、私が居なくとも充分に暮らしていけるように。 しかし、運命が我々に微笑むことは無かった。1年もしないうちにクリステラは帰らぬ人となり、私は人である事を辞めた。 ───────────────── X月X日 本日収容。錬金術の技術を研究所に提供する等、研究員に対して極めて従順。 X月X日 ギフテッド投与。█時間後、意識不明。脈拍に異常無いが、緊急治療室搬送。 X月X日 依然として意識戻らず。だが時折何かを呟く様子有り。録音するも、通常ではあり得ない程のノイズが走り詳細不明。また当時の状況では考えられないが、複数の子どものような笑い声と足音が混ざっている。 X月X日 この日に意識戻るも、意識を失うまでの間の事は覚えていないと話す。精密検査かけるも異常は見つからず。しかし、夢の中で何者かに語り掛けられた旨を話す。代償を求められたが、何の代償なのかは具体的には思い出せないとの事。 X月X日 この日に戦闘訓練開始。戦地で生け捕りにした魔物2体を討伐。倒れた魔物の身体の一部が黄金化している。「嘗ての恋人に今の姿を見られなくて良かった」等と自嘲する様子有り。また、解剖した魔物の血液が透明になっているとの連絡あり。検査後、水に変わっていることが判明。 【S-48】のコード割り当てる。 X月X日 「本当に人では無くなってしまった」と笑う。████の戦地へと派遣。暫くは生存確認出来ていたものの、戦局激化に伴い消息不明。終戦後の経済に悪影響を及ぼす可能性が高く、回収して処分する必要がある。引き続き捜索予定。 ───────────────── どんどん自分が怪物になっていくのが分かる。今の私を見たら、クリステラはどう思うだろうか。 笑って欲しい気もするし、私の人としての残滓を終わらせて欲しい気もする。 分かっている。所詮は夢物語だ。クリステラはもう何処にも居ないし、平和な世界も失われた。ただ、化け物じみた力だけが残った。 君を失わない為に足掻いて、君すら失った。 卑金属どころか、願った全てを黄金に変えられるようになった。神の血はワインだったからだろうか。水をワインにするどころか、血液を水に変える事すら出来るようになった。 研ぎ澄まされた思考が世界を鈍足にして、誰よりも早く動けるようになった。何度も己の死の運命を塗り替えたのに、君の死の運命は塗り替えられなかった。君の為に強くなりたかったのに、君の前では何ひとつ役に立たなかった。 「早く戦争が終わって、世界が平和になればいい」 在りし日のクリステラは、そう言っていた。病床の身でも、行きたい国が沢山あるのだと。所詮は夢物語かもしれないけれど、描き続ける事に意味があると。 叶わぬ夢など無価値かもしれない。けれども私は、その無価値を愛していた。治らぬ病だとしても足掻いた彼女と私の全ては無価値だったか?これだけは胸を張って言える。「否」だと。 私の思い描いた錬金術の本質は、価値ある存在が勝手に無価値だと決めつけた全てを覆す不屈の意志だ。 代償として差し出した物を思い出した。 命を選ばなくて良かった。記憶を選ばなくて良かった。 どちらか片方が欠けてしまっては、君の願いを連れて行けなくなるから。 もう頭髪は残っていない、この馬鹿げた姿を見て、君にまた笑ってほしい。 私は偏屈で攻撃的な私よりも、彼女を愛していた時の愚かな私が好きだった。そんな自分も含めて、彼女の事を愛していたのだろう。 やっぱり、真似事でもいい。少しだけでも、私は人でありたい。それこそが、この倫理を失った世で何よりも価値のある物だから。 君の願いの手を引いて、どこまでも共に行こう。 平和を願った夢物語を、夢のままにしない為に。 ───────────────── 【元被験体データ】 No.【S-48】 コードネーム:ハーゲンティ ─────────────────