悪魔の囁き、それは耳を傾けてはいけない甘い誘惑。 だから、私は耳を閉ざした。 そう、教えられてきたから…… そう、皆が信じてきたから…… そう、私は願っていたから…… 「あーぁ、どうしてこうなってしまったのか…」 シスターはそう笑い、握りしめた十字架を手放した。 ___スルッ ここは教会、そこには祈りを捧げる少女が一人。 ___グゥ〜…… 「お腹すいたなぁ……」 お腹を押さえる、そしてハッ…と気を取り戻して神へと祈りを捧げる。 「神よ……」 握りしめた十字架、その手に迷いはない。 ___ガチャン…! 教会の分厚い扉、そこが静かに開かれた。 今は真夜中、誰もここを訪れる予定は無かった筈だ。 そう、シスターは不思議そうな顔を浮かべて訪問者を見つめる。 ___男は笑う。 「いやなに、ただの悩み事を聞いてもらいたくてね」 「悩みごと……ですか…?」 シスターは小首を傾げたが、反射的かつ業務的に男を手招いた。 ___パンパン… シスターは修道服のシワを直して座る、男はそれを見つめていた。 「それでは、今宵の悩みについてお聞きします。」 ___男は嬉々として笑う。 「おぉ、ありがたい!、これは神……いや、シスターに感謝せねば!」 「ふふっ、神はいつでも貴方を見守っていますよ。」 造り笑い、という訳ではないが……どこか業務的な笑顔でシスターは笑いかけた。 「ふむ、神はいつでも見守っているか…」 ___男は感慨深そうに笑った。 「…………???」 私、シスターに浮かんだハテナ。すると___、 「おっと悪い、こっちの話だ」 ___そう、男は笑って誤魔化した。 「それで、悩みとは…?」 私は聞いた。 「あぁ、僕の悩み。つまり今回聞いてほしい話とは恋についてだ」 思いがけない話題。 「恋……ですか?」 恋…?、まだ未熟者な私には縁のない感情。 私は、上手く男の問いに答えられるか心配になった。 「実は、とある女性に恋をしたんだ。」 ___トクン なんだかんだで始まった異性との恋バナ、私自身も興味がない訳ではなかったのだ。 「その方は…、どんな方でしょうか?」 「うむ、真面目で働き者、ふとした笑顔の可愛らしい女性だよ」 男はそう言って笑う、その表情に私の心が高鳴った。 「そ、そうなんですね…。それはそれは、とても素敵な方のようですね。」 ダメダメ!、集中しなさい私。今は目の前にいる方の話を聞かなければ! 「おや、大丈夫かなシスター?、やはり今日は疲れているのでは?」 「だ、だだ、大丈夫です!、とても元気いっぱいですよ!」 そう言って己の両頬から発される熱気を振り払うようにシスターは首を横に振った。 ___ブンブン…! 「ふむ、無理は禁物だぞ。それに人々の拠り所である教会の従事者が倒れたとなれば大変だ」 男の顔が近い。 ___ボッ…! 私は更に火照った顔を押さえて、男から咄嗟に顔を背けた。 「ほんとに大丈夫か、シスター?」 「わ、わわわ、わわ…!」 混乱したシスターが椅子から滑り落ちる。 ___ズルッ…! 「おっと危ないぞ、シスター」 男に手を引かれ、抱きかかえられたシスター。 ___もう無理ぃ〜〜〜! あまりの恥ずかしさにシスターは悶絶した。 気を取り直して……、 「こほんっ、それでは話の続きをお聞きします。」 まだ先程に醜態を晒したせいか両頬が熱い。 「あぁ、僕は彼女に恋をしてしまった。それも許されない恋を……」 「許されない、ですか…?」 私は聞いた。 「そうだ、彼女と僕では生まれた身が違い過ぎている。それは許されないのだ、決して誰も許すことはないのだろう。」 男は苦虫を噛み潰したかのように暗い表情を見せた。 私は考える、身分の差による壁なのだろうか。たしかに、それは決して許されてはいけない恋である筈だ。 ___しかし、 「ハラスの福音書 第5章 2節『汝、愛する者を愛せ』という言葉があります。」 そう、シスターは告げる。 「私は残念ながら恋というものが何なのかは知りません、だけど簡単に諦めていいものでもないと思っています。」 「シスター……」 男はシスターを見つめる。 「神はきっと許して下さいます、だから貴方の恋が実ることを心から願っています…!」 そう屈託のない笑顔を溢したシスター、その様子に男は笑い、腑に落ちたかのように大声で笑ったのだ。 「ははははははははははッ!、そうかそうか!、ならばヨシ!」 ___んっ?? シスターは嫌な予感がして冷や汗を流した。 「ならば、シスター! この僕と結婚してくれ!」 ___はいっ?? シスターは呆気に取られた。 ___バサッ…! 私の視界、漆黒の翼が前方を覆った。コウモリのように広がる翼…、間違いない、悪魔である!? 「どんな恋も神ならば許してくれる!、そう言ったのはシスター!、君だッ!」 悪魔の顔が迫り来る、私は逃げ出した。 ___バッ…! 「おぉ、愛すべきシスター!、一体どこに行くつもりかな〜?」 悪魔が追いかけてくる、その翼を広げて追いかけてくるのだ。 ___キッ…! 私は咄嗟に十字架を握り締める。 ___そして、 「シスター!、この僕と結こ……ッ!!」 聖なる十字架を添えた平手打ち、悪魔の顔面に炸裂した。 「失せろッ!!」 ___パチンッ……!! 「アウッ!」 悪魔は短い悲鳴を挙げて、もの凄い勢いで教会の出入口へと吹き飛んでいった。 「ふん!、これだから悪魔は…!」 そう、うんざりした様子でシスターは教会の戸締りを始めたのであった。 ___翌日…、 「シスター!、愛しの君に会いに…!」 ___スッ 「消えなさい!」 ___バチンッ…! 「グホッ…!」 悪魔退散!、悪魔死すべし!、そんなシスターの聖なる平手打ちが炸裂したのである。 悪魔は再び教会から追い出されていった。 ___その次の日も……、 一軒の古びた教会が見える。 そこではちょうど、激しい「攻防戦」が繰り広げられていた。 「シスター! 僕の愛は地獄の業火よりも熱い! お願いだ、僕と結婚してくれ! 君のためなら魔界の領地だって全部譲るよ!」 黒髪赤眼の軟派な男、もといデビルが、情熱的な口調でプロポーズを仕掛けていた。彼は不法侵入という形でお馴染みの教会に潜り込み、愛する女性にすがりついていく。 対する相手は、銀髪碧眼の清廉なシスターでした。彼女は深い溜息をつき、冷ややかな視線をデビルに向ける。 「いい加減になさい。ここは神聖な教会です。不法侵入に加えて、その破廉恥な求婚、何度断れば理解できるのですか?」 「断られれば断られるほど、君の純真さに心打たれるんだ! さあ、今すぐ誓いのキスを――」 デビルが身を乗り出した瞬間、相手は迷いなく懐から大きな十字架を取り出しました。 「出なさい!!」 ガキィィィィン!!と、聖なる衝撃波がデビルを直撃する。 「ぐはぁっ! 相変わらず手厳しい! だがその厳しさこそがたまらない! 次こそは君を僕の妻に……!」 吹き飛ばされながらも、デビルは心底幸せそうに笑いながら教会の外へと放り出されていった。 ___月日は流れ、 陽光が降り注ぐ静謐な教会。そこには、シスターである少女と、彼女を翻弄しようとする一人の悪魔という、極めて騒々しい光景が広がっていた。 不敵な笑みを浮かべた黒髪赤眼の悪魔ことデビルが、不法侵入の常習犯として立っていた。 「やあ、僕の愛しい聖女よ! 今日もなんて神々しい光景なんだ。君の美貌を見ていると、まるで天界に届かんばかりの美しさだね」 ___シスターは眉をひそめて、 「……また、あなたですか。いい加減にしてください。ここは祈りの場です。不浄な悪魔が足を踏み入れていい場所ではありません!、昨日も追い出したばかりなのに、いったい今日は何度目の中庭からの侵入ですか?」 「ふふふ、愛の力は聖壁よりも強固なんだよ。さあ、ここで僕の究極の提案をさせてくれ。愛しの君よ、僕の妻にならないか! 地獄の王座を半分ずつ、いや、三等分にして分け与えよう。贅沢な宝石と、永遠の快楽、そして僕という最高の伴侶がセットだ。どうだい、この甘美な誘惑(プロポーズ)は!」 ___頬を赤くしながらも、毅然と 「……ふ、不敬です! 、誰があなたのような軟派な悪魔と結婚するなどと!、 神への畏怖があるなら、今すぐその不謹慎な口を閉じなさい!」 ___悪魔は笑う。 「おや、照れているね!、その怒った顔もたまらなく可愛い。ねえ、あと一度だけチャンスをくれよ。例えば、僕が今ここで懺悔して、君の足に口づけをすれば許してくれるかな?」 ___ハァ……、 「……そろそろ、時間ですね。お掃除の時間です」 「ん? お掃除……?」 悪魔の言葉には耳も貸さず、電光石火の速さで懐から特製の巨大な黄金の十字架を取り出した。十字架が太陽の光を反射し、強烈な聖光を放つ。 「聖なる光よ、この不埒な悪魔を浄化し、元の住処へ送り返したまえ!!、主の御名において、不法侵入者は即刻退場です! 、どりゃあああ!!」 「ぎゃあああああ!! 熱い! 聖なる光が熱すぎる!」 ドガァァァン!、という爆発音と共に、デビルは教会の壁を突き破り、遥か彼方の空へ向かって星となって飛んでいった。 ___遠くからの声、 「あぁ〜〜〜!!、でもその反応も最高にエロティックだったぞ〜〜!!、また明日も来るからなーー!!」 デビルの声が空高くに消えていった。 静寂が戻った聖堂に、シスターの溜息が漏れる。 「……ふぅ。全く、あの方は懲りない人ですね。あの方の『悪魔の囁き』に、たまに心地いいと感じてしまう自分が怖いです。」 ___ハッ…!、顔を真っ赤にして 「……な、何をっ! 私は至って敬虔です! さあ、壊れた壁の修理依頼をしましょう! また明日、彼が来る頃には直っているはずですから!」 慌てた様子でシスターが去っていき、再び教会は静かな祈りの時間へと戻っていった。もちろん、明日にはまた同じドタバタが繰り返されることを確信しながらも教会の扉を閉めたのだ。 ___ハッ……、 真夜中、私は聖堂で眠っていた事に気づく。 「はぁ…、最近は疲れが溜まっていますね」 溜め息をつき、そして目を擦る。 ___すると、 「大丈夫かシスター、顔色が悪いではないか!」 デビルがいた、私は十字架を…… ___クラッ… 私は咄嗟の目眩に十字架を落としてしまった。 ___カランッ… 「おいおい、大丈夫なのか……」 「近寄るなッ!!」 私は悪魔を、デビルを拒絶するように叫んだ。 震える手で己の十字架を拾う。 ___ハァ……、ハァ…ハァ…… 彼女はあまりの目眩に後退する、そして近くの柱に縋るようにへたり込んだ。 腹の虫が鳴る、咄嗟に彼女は腹を押さえた。 「シスター、最後に食べたのはいつ頃だ?」 「そ、そんなの……貴方には関係が…」 デビルは頭を掻いた。 「いくら信仰心が厚くても、腹は満たせないし、怪我もする。だって、所詮は神様なんざ、ただの……」 「黙れ…!」 シスター、彼女は肩を震わせて怒る。そして___、 「もぉ、来ないで下さい…!」 「…………。」 悪魔は黙っていた。 「貴方がここを訪れてから、この教会は悪魔に憑かれたなんて噂を流されて、誰も来なくなってしまったのですよ。」 ___ポタ…、ポタポタ シスターは涙を流した。 「まぁ、凡人の信仰心なんてそんなものだ。」 悪魔は告げる。 「神は祈っても助けない、神は願っても手を差し伸べない。万人に対する究極の平等、だからこそ神は神って言うのだよ」 悪魔は呆れたように笑った。 ___だからこそ……、 「僕が君を助けよう、それは恣意的で、打算的で、不平等なまでの君に対する愛によって満たそう。」 ___スッ 一切れのパンが、私の視界に差し出された。 ___ゴクリ… 喉から手が出る、そんな感覚、そんな欲望、そんな……! 「い、いりません……」 私は目を背けた。 「いいや、君はこれを欲しい筈だ」 ___ギュルルル…! 「くっ……!」 私は腹を再び押さえた、耐え難い空腹に腹を押さえたのである。 「食べろ、じゃなきゃ死んでしまうぞ!」 「い…いえ、私は……」 私の目が泳ぐ、神への信仰が揺らいだ。 「悪魔に…、施しを受けるほどに私は堕ちてなど…!」 ___グラッ… 視界が歪む、床に倒れた。意識が朦朧とする。 「おい、しっかりしろ!」 悪魔の声、そんな彼に抱き寄せられた。 ___あたたかい……。 悔しくも、その温もりを感じた時点で、私の負けだったのかもしれません。 私は口元へ運ばれたパンを齧った。 ___ガッ… 美味しかった、涙が流れてしまう程に美味しかったのだ。 「うっ、うぅ…!」 口いっぱいに広がる小麦の豊かな香り、何かを噛み締めるという感覚が、私の食欲をひどく刺激した。 ___ガブッ…、ガッ…、ガブッ 私は悪魔に導かれるまま、己の欲望に付き従った。 ___腹が満たされた、久しぶりの感覚である。 「あ、ありがと……」 シスターは目を逸らしながら礼を述べた。 「良いって事だ、やっぱ好きな相手には生きてて欲しいからな」 ___カァ…/// 「貴方っ!、毎日毎日!そんな言葉を呟かれる相手の気持ちを分かって言ってるの!」 シスターはキレた、照れ隠しである。 「いや、まぁ……なんだ、悪い!」 悪魔は苦笑いを浮かべた。 ___ところで、 「なんかココ、焦げ臭くない?」 悪魔の声、確かにそうだ。 ___すると、、、 「「 悪魔を殺せ〜! 」」 「「 魔女を逃すな〜! 」」 「「 焼き殺せ〜! 」」 外の方から人々の怒号が聞こえてくる、教会全体が炎を帯びていた。 「これだから凡俗な輩は…」 悪魔は呆れた様子でシスターの手を引いた。 「ヨシ!、逃げるぞ!」 しかし、 「私は…、ここに残ります。」 ___パッ シスター、彼女は悪魔の手を振り解く。 「おいおい、今更こんな事してる場合じゃ……」 シスターは告げる。 「きっと、これは天罰なんです!、神が悪魔である貴方に誑かされた罪を罰する為にした事なんです!」 シスターは数歩、下がる。 「おい!、今そんな冗談はよせって!」 ___バキッ…! 火の勢いが強すぎる、そして教会の天井にヒビが入った。 「なっ…!」 悪魔は驚いた。迫り来る天井、間に合わない。 ___スッ シスターの握る十字架、それが悪魔を吹き飛ばす。 ___ズバッ…! 代わりにシスターが瓦礫に押し潰された。 「シスターーーーッッ!!?」 悪魔は駆け出した、シスターの下半身が瓦礫に潰されていた。 「今、助けるからな!」 「来ないで…、下さい!」 ___バチッ…! シスターが掲げた十字架、それが悪魔を遠ざける障壁となって立ち塞がる。 「私は…、もう良いんです。もぉ貴方からは充分すぎるだけの喜びを貰いましたから……」 恋を知らなかった私に、恋を教えてくれた。 誰も助けようとしない私に、あなたが手を差し伸べてくれた。 だから、私はそれだけで充分なのです。 ___シスターは笑う。 「だから、どうか……」 悪魔は叫んだ。 「んなっ、訳ねぇだろう!」 ___へっ……?? 「そんな事で納得できる訳がないだろ!、君が良くても僕は良くない!、むしろ最悪だ!、こんな結末が最高の筈がないんだ!、だからこそ僕は君を助けるんだよ!」 十字架、その聖なる光を飲み込む漆黒。 伸ばした手が、光に焼かれて炎を上げる。 「くっ、こ…のぉ……!」 悪魔がシスターの手を掴む、そして瓦礫の中から彼女を引き摺り出した。 「オラァァー!!!」 十字架に焼かれた全身、そんな中で歩けないシスターを背負って悪魔は歩き出す。 「なんで…!、なんでよ…!」 ___悪魔は告げる。 「君が好きだからだ!」 どこまでも真っ直ぐな言葉、愚直なまでに伸びた言葉がシスターの心の奥を強く、確かに彼女の心を穿ったのだ。 悪魔の囁き、それは耳を傾けてはいけない甘い誘惑。 だから、私は耳を閉ざしてきたのだ。 そう、教えられてきたから…… そう、皆が信じてきたから…… そう、私は願っていたから…… 「あーぁ、どうしてこうなってしまったのか…」 シスターはそう笑い、握りしめた十字架を手放した。 ___スルッ 燃え尽きた教会を、悪魔は翼を広げて飛び去った。 今はどこか付近の森、そこで悪魔はシスターを抱えて歩いていた。 「なぁシスター……って!、今はシスターじゃないのか!」 悪魔は言葉に困った、すると___、 「では、少し耳を貸して下さい。」 ___ゴニョゴニョ… シスターからの耳打ち、それに悪魔は耳を傾けた。 「うん!、悪くない!、むしろ良いぞ!」 悪魔は上機嫌になって歩き出す。 「ちょっ、離して下さい!、恥ずかしいです!」 「何を言っている!、君は怪我人ではないか!」 ___と、言って離さない悪魔。 「もう、なんでもイイです。」 ___と、言って彼女はされるがまま、諦めた様子で悪魔に抱えられながら去って行く。 これは私の物語……否、 私と悪魔、そんな二人が始めた歪な物語。どうか、この物語の続きに眩いばかりの幸福がある事を願って、私はこの物語の最後を静かに閉じたのである。 [完。]