詩織はごく普通の少女だった。 恥ずかしがり屋ながら、姉とはよく歌を口ずさみ、夜には2人で古いカセットテープに声を録音して遊んでいた。姉の歌声と、詩織の笑い声。たったそれだけで十分だった。 だが、先にダビングできなくなったのは「日常」のほうだった。 事故だった。 帰り道、姉が詩織をかばって…… 鉄橋の音。警笛の音。詩織の叫び声。何かの拍子に録音が始まったテープには、その一部始終が残された。 詩織の声は、あの日から出なくなった。 声帯には異常がなかったという。しかし、精神的ショックにより発話は絶望的になった。 その後、詩織は姉の遺品である古びたテープレコーダーだけを抱えて、生きるようになった。 毎晩そこに音を録っては、誰にも聞かせず、再生してはまた録る。 あの日の騒音に耳を塞ぐ。自分の叫びを逆再生し、無かったことにしようとする。 やがて、レコーダーには彼女のテープの“声”に呼応するように、不思議な力が宿るようになった。 それは「録音された想い」を力に変える魔法だった。 詩織はこうして、自らの悲鳴を“記録の力”に換えて生きる術を手に入れた。 でも彼女は、今も一本のテープを胸にしまっている。 それは、姉の歌声が最後に残された、唯一のオリジナル。 まだ一度も、再生されていない。