《2》 数週間が過ぎた。 季節はわずかに進み、朝の空気は少しだけ柔らかくなっている。 「おはようございます!」 いつもの場所。 いつもの時間。 いつもの声。 白波言派は、変わらずそこに立っていた。 「おはよ、白波」 「おはようございます!本日もよろしくお願いいたします!」 明るく、丁寧で、元気な声。 ――ただ。 「白波、ちょっと声落ち着いた?」 「え、そうでしょうか?」 小首を傾げる仕草。 「自覚はあまりございませんが……元気ですよ?」 にこり、と笑う。 その笑顔は変わらない。 以前と寸分違わない。 けれど、どこかだけが少し静かだった。 それでも誰も気にしない。 気にする必要がないからだ。 ⸻ 教室でも、彼女は変わらない。 「白波、この問題教えて」 「はい!こちらの式を使うと解きやすいですよ!」 丁寧に、分かりやすく、相手のペースに合わせて説明する。 「助かったわ、ほんと」 「いえ、とんでもございません!」 笑顔。 変わらない。 ――ただ。 黒板を見る時間が、ほんの少し長い。 ほんの一瞬、授業とは関係のない“どこか”を見ているような間。 だが、それはすぐに消える。 誰も気づかない程度に。 ⸻ 放課後。 生徒会室。 「失礼いたします!」 「お、来たな白波」 「はい!本日もよろしくお願いいたします!」 書記としての仕事は完璧だった。 議事録は整っていて、無駄がなく、誰が見ても理解できる。 「白波、やっぱ助かるな」 「ありがとうございます!皆様のおかげです!」 自然に空気を整え、流れを作る。 誰かが困る前に、ほんの少しだけ先回りする。 「では、その件は来週までに整理という形でよろしいでしょうか?」 「ああ、それでいこう」 会議は淀みなく進む。 彼女がいるから。 ――ただ。 ペンが止まる瞬間がある。 ほんの一瞬。 発言とは関係のない方向へ視線が逸れる。 空間の、何もない一点へ。 だが、すぐに戻る。 何もなかったかのように。 ⸻ 帰り道。 夕焼けは、前より少し深い色になっていた。 「本日も、お疲れ様でした」 静かに呟く。 その声は、やはり明るい。 少しだけ、落ち着いているだけで。 信号の前で立ち止まる。 赤。 車の音。 遠くの笑い声。 いつも通りの世界。 白波は、まだ変わっていない信号の先を見る。 誰も渡っていない横断歩道。 「……はい」 小さく、頷く。 数秒後。 信号が青に変わる。 人が動き出す。 白波も、その中に混ざる。 「今日も、安全ですね!」 明るく、いつも通りに。 誰に向けるでもなく、そう言って笑う。 ⸻ 白波言派は、変わらない。 明るくて、優しくて、丁寧で。 誰からも信頼される、生徒会書記。 ほんの少し、静かになっただけ。 それだけだ。 ⸻ その日の夜。 彼女の机の上には、ノートが開かれていた。 議事録ではない。 白紙のページ。 そこに、整った文字で記録が残されている。 『観測:安定』 一行、間を空けて。 『視線干渉 微弱』 さらに、その下。 少しだけ乱れた文字で―― 『こちらを見ている可能性 有』 最後の一文だけ、ほんの僅かに歪んでいる。 『応答は不要 まだ きづかれていない』 白波はそれを静かに見つめる。 そして、いつものように微笑む。 「はい。本日も、問題ございません」 その声は、明るくて。 ほんの少しだけ―― こちらに向いていた。