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【快晴と波時雨】 海凪 砂希

エピソード【細波と白昼夢】 私は高齢化の進む海が綺麗で自然に恵まれた島の小さな港町で育った。 父と母は漁師で私の憧れだ。 様々な海鮮を取ってきてくれ時々ご馳走を取ってきてくれていた。初めてタコを持ってきた時はどうやら怖くて大泣きしたらしい。 近所の人や友達もとても良い人でとても楽しい毎日を送っていた。 海に囲まれて育った事もあって自然と私は海で遊ぶのが好きになった。 だが海で遊ぶといっても釣りが好きで、時々父に船で沖に連れて行ってもらうこともザラだった。 …その日も私は港で釣り糸を垂らしていた。 父が本家から呼ばれ、母は家事で忙しかったため沖へ出れなかったのである。 私は若干不貞腐れながらも何が釣れるかと楽しみにしながら釣り竿を動かしていた。暑い日差しと蝉時雨が聞こえ、入道雲が遠くに見える7月初めの事だった。 「やあ少年、君は何をしているんだい?」 突然後ろから少女の声が聞こえてきた。腰まである長い青空のような蒼髪が特徴的なセーラー服の美少女だった。おそらく15、6歳ほどだろうか?今までにこのような人は見た事がなかった。 「ああすまない、驚かせてしまったね。私は…そうだな…砂希と呼んでくれ。」 私に俯くやけに大人びた少女はそう名乗った。全てを見透かされたような不思議な微笑みを浮かべながら。 どうやら彼女は数日前に近所に引っ越してきたらしい。 その後彼女の家族が挨拶に来た。私は何故か彼女の両親に少し無機質な印象を受けた。 ____ 「やあ少年、今日もよろしく頼むよ♪」 ____その後、少し世間話をしていく中でどうやら彼女はかなりの箱入り娘らしく、釣りのルアーや釣竿も知らず興味津々だった事を覚えている。話の流れでほぼ毎日彼女に釣りを教えるために会うようになった。 話す中で少しずつ仲良くなり、私も彼女と会えるのが楽しみだった。 ____2年半が経った。 彼女とはかなり仲良くなり打ち明けられない想いを秘めながらも気兼ねなく話せる親友のようになっていたと思う。 彼女は私の両親とも仲良くなり時々3〜4人で船で釣りに行く事も多くなった。 ……だが当時の私にとって両親から悲報が告げられた。 すぐに引越しをしなければならないらしい。 私は頭が真っ白になりただ立ちつくしたのか…ギャン泣きしたのか…よく覚えていない。 人の脳は辛い記憶を積極的に排除するらしい… その後、私は涙を堪えながら彼女とよく釣りをしていた港へと向かった。なんとなくだが、私はそこに彼女がいると確信していた。 「どうしたんだい〇〇くん、今日はいつにも増して元気が無いじゃないか」 彼女はいつも通りの場所に座っていた。 彼女は涙ぐみながら頑張って伝えようとする私を戸惑いながらもただただ頷きながら聞いてくれた。 「大丈夫。永遠にお別れという訳でもないさ。また遊びに来てくれよ。」 彼女は繕いながら不器用ながらも私を慰めてくれていた。 私は思った。このままズルズルとお別れで本当にいいのか?…いや、いいわけがない、と。 少し落ち着いた後、私は彼女に想いを告げた。そして十数年後、必ず迎えに来るからと。 彼女はほんの少し照れ臭い表情をしながらこう答えた。 「じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな? …ずっと待っているよ。」 『うん…!』 その少年の眼にもう涙は無かった。 _____________________________ 引越し当日私はトラックに揺られながら全力で手を振り続けた。どこでもいつまでも見えるように。 その後私は勉学に励み有名大学に合格し、順風満帆だった。 ある日、両親に彼女の話題を振った。だが両親はあれだけ仲が良かったにも関わらず彼女の存在すら覚えていなかった。 話をしていくと普通に忘れたという忘れ方ではなく当時の記憶から彼女のみを消去し整合性がとれているように調整されているという感覚に近かった。 私は強烈な不安感に駆られ、港町に向かった。到着した時彼女の家は存在せずただただ静かな海が広がっていた。半分パニックになりながら周囲を観察する。 そしてコンクリートに彫られていた言葉を見つけた。たった一言しか彫られていないその言葉を見つけた時、私は同じ言葉を吐き出していた。 『「ありがとう」』 海凪 砂希【設定】 かつて故郷が滅ぼされ全マルチバースの平和と秩序を追求し続けた魔法使い。真名は【譏溽ゥコ縺ョ螟ゥ闢九?闃ア 繧「繝ォ繝輔ぉ繧ケ】 追求の過程で宇宙検閲官仮説に目をつけ【検閲官】と接触、禁忌の魔術儀式を行う事で全マルチバースを取り込み内包、過去現在未来全てを見通し全ての次元を超越した9次元世界の神的存在となる また全人類の【良心】とは砂希の魔法により発達させられた物である。 エピソード【細波と白昼夢】ではかつての故郷と非常に似た星を観測したため無力な分身体を送り込んだ。 だが分身体とはいえ9次元世界の神。長居すると宇宙が崩壊を始める危険性があり2年半という期間が限界だったのである。