眩しかった。 強烈な白が、半月状の隙間から差し込む。 鋭く、だが熱を纏い網膜を貫いた光に、無意識のままわずかに目をこすろうとした。 そのとき瞳に触れそうになった指先に、ぞっとするような冷たさを感じる。 僅かに香る草木の焦がれたような匂いに嗅覚を集中し、まだ目覚めない視覚のために周囲を探った。 広い、草原の匂いがする。ただ、その源は一つではない。 幾つも草葉が波源となり、点描として無数に広がっている。 交錯する波が、緩急のある緑を構築しているのだろう。 すっと風が吹き抜け、先ほどから起きかけの上半身の脇を過ぎ去っていく。 布が揺れ、視界の端に入ったなびく服から、自分が白い衣服をまとっていることを思い出した。 私には覚えていることがほとんどなかった。 それとも、ほとんどが無意味な生き方をしていたのか、定かではない。 続いてすぐ思い出したのは、私が人の形をしているということだ。 だが胸に手を当ててみても、わずかな振動すら伝わらない。指先は震えず、だが私の呼吸は乱雑に、無意味に乱れていく。 風と、草の揺れ、擦れる音だけ。鳥の声も、虫の羽音さえもしないこの場所でも、血潮は唸らない。 吐き出されたなぜか熱い息が白い塊となり、虚ろに霧散し消えていく。 気づけばようやく視界の白が晴れ、わずかに色彩が戻っていた。 青と緑の鮮やかな二色が視界の上下を埋め、いくら振り返ってもそれだけが広がる。 私の嗅覚が伝えていたことに、ほとんど誤りはなかった。 あるとすれば、それは青に飲み込まれそうなそびえたつ鋭い山々の姿だっただろう。 はじめぼんやりとした外形を持っていたそれらは、徐々に起伏のある複雑な稜線を明確にした。 今にも融けていきそうな山頂は白に染まり、麓は大きな真円の空洞を描いていた。 空洞の下には、その原因であろう無機質な立方体。 視界に広がる自然のもたらした鋭角とはことなり、完全な直角と、何一つ凹凸のない完璧な表面が黒く反射している。 遠くから見ても山の高さに匹敵するほどの巨大な立体は、その一角を地面に沈め、麓から山に並んで聳え立っていた。 私の脇を吹き抜けた風は、きっとあそこから来ているんだろう。 先ほどまでささやかに草木を揺らすだけだった風は、さきほどよりも強くなり、肌を切るように背後へと過ぎ去っていく。 山の向こうには青い、青い空が伸びていく。 白の濁りは何一つない、綺麗な空。 眩しかった太陽は、どうやら今ちょうど真上にいるらしい。 唐突に気になった。私の声はどんなものだったのだろうか。 しばらく喋っていないと、自分がどんな声をしていたのかなんて忘れてしまう。 高い?低い?それか、小さくてか細い声かもしれない。 あるいは、もう少し野太く……。 「あ......」 少し白いような、高く、細い声。 鼓膜を震わせた声は、記憶の底に沈んでいる「私」の響きと、確かに符合していた。 空洞を突き抜けるような鋭利な響きが、背後の草原を突き抜けていく。 静寂は、私の声によって破られた。草木の擦れるばかりだった空間に、無地の音が紛れ込む。 だが、どこにも反響はなかった。 ただ風の音だけが、かすかに、だが確かに柔らかな音を返す。 わずかに声を出してその静寂を失わせることは、私の呼吸を荒くさせた。 それは指先を胸に当てたときと同じ、無意識の感覚。 胸に手を当てたときと同じような感覚に、先ほど開いた口の端が少し上がていることを自覚する。 瞬間、私は軽くなった体を起こして立ち上がることを決めた。 擦れるばかりだった草は押しつぶされ、より大きく乱雑な音を響かせている。 きめ細やかな肌色が緑を押し倒し、一歩踏み出すごとに軽快な音が鳴り出す。 気づけば、その音に乗るように私の足は踏み出されていた。 草木の折れる音は連鎖し、加速し、そして風の音とともに奇妙なリズムを刻み始めた。 大きく開いた白い袖口には、一層強かになった風が流れ込んでくる。 肌をなでるように通り抜け、あの網膜を焼き付けた熱を、外側から少しづつ冷ましていった。 跳ねるように、踊るように。そう思っていたけど、きっと滑稽だっただろう。 脚の踏み方はぐちゃぐちゃだったし、腕なんて酩酊しているようにバラバラに動き続けていた。 ただ生じたリズムに乗りながら、足を踏み出していく。 青い空と草原、だがその濃淡は唐突に断崖となり、空の青が流れ込んでいた。 風は一層強く、境界線の向こう側から激流のように流れ込んでくる。 ささやく草木の音は、気づけば豪雨のようにざわめき、私のリズムをかき消そうとしていた。 瞬間、前方を切り裂くような突風が前方から吹きすさび、思わずその力強さに目を瞑る。 衣服は一層、暴れるように風に流れ、髪は幾度となく私の肌を打ち付けた。 皮膚の内側にこもっていたはずの熱量が、急激にかすめ取られていく。 突風が止んだ時、蒼と緑の鮮やかな境界線に、絵の具を溢したかのような漆黒の影が浮かび上がっていた。 変わらず強かに風が私の髪をさらっていたが、その影は微動だにしなかった。 見開かれた目の網膜に、その影は徐徐に輪郭を刻み付けていく。 太く、頑強な直方体の脚はまっすぐに地面へと向かっているが、途中から大きく湾曲し、先端が泥土に塗れていた。 その上では重なり合った薄い円柱が胴体を形成し、いたるところが鈍い赤錆によって深く食い破られている。 失われた右腕の代わりに、むき出しの血管のような配線が垂れ下がり、わずかに生じたスパークが淡く点滅していた。 まばらに垂れ下がった繊維質が、私の髪と同じようになびいているのが分かる。 僅かに見えた眼窩だったであろう場所は、すでに深く錆に侵食されていびつな空洞になっていた。 しかし、それは私のことなど気にもしない様にただ遠くをじっと見つめ続けている。 異質な存在に抗うことなどできず、衝動的に脚は彼のもとへと一歩を踏み出した。 風が凪ぎ、先ほどよりも静かになった草原に、草木の折れる乾いた音が大きく響く。 その音に呼応するように、彼の頭にかすかな振動が生じていた 金属の擦れるような甲高い音が小さく響き、顔は横を向いた。 人の顔には似ても似つかない、角を持った立体が複雑に交差した無機質なデザイン。 最低限の感知機能だけが置かれているかのように見えた。 突如、空洞であるはずの眼窩に目があるかのような錯覚を感じる。 吸い込まれてしまいそうな暗黒が、瞳のような輝きを帯びている。 星空のようなその深淵に、私の視線はくぎ付けになった。 ただ、水玉模様を描くように開けられた穴から、音が聞こえた。 「来い。」 電子音の縺れ、掠れた拡声器のような鈍い声が聞こえた。 顔の一切は動かず、ただその声だけが風音を切り裂くように響く。 ただその音は、冷たくも暖かい、不思議な音色を纏っていた。 止めていた足を前に運び、再び私は彼の左隣へと進む。 崖に近づくにつれ地面の緑は薄く、小さくなっていった。 足先に伝わる感覚が、柔らかな草からしっとりと湿った地面へと変化していく。 草の背が低くなるごとに、それに覆われていた小さな花々の姿が見えた。 それは進むごとに数を増し、降り積もる雪の様に、地面を淡く染め上げている。 僅か数歩のうちに、私は彼の隣にたどり着こうとしていた。 地面の変化にとらわれていた視線を上げ、崖の先の光景を望む。 いつの間にか日が暮れかけていることに気付いたのはその時だった。 燃えていた。 正面から翳される光は、先ほどとはくらべものにならないほど強く、網膜を貫き、私の芯を穿っていく。 焔の様に焼ける地平線が、足元から広がっていく緑を深紅に染めている。 雲は熱源へと流れ込むにつれて輝き、やがて消えていった。 「もう見慣れた景色だ。」 彼の声は、さきほどよりも明確な形を持っていた。 より鮮明になった音には、かすれた電子音のようなノイズがとどまっている。 先ほどは気づかなかったが、その足先は湾曲したパーツなどではなかった。 ゆがんで、曲がってしまったフレームが、淵に銀の掠れを光らせながら動かないままでいる。 彼がその場から動くことができなくなっていることは、すぐに理解できた。 「ずっとここにいるの?」 もう一度忘れてしまいそうになった声を思い出して、口を開いた。 彼はもう、こちらに空洞を向けることはなかった。 だがその奥は、私を見つめたあの時と同じように、夕日に輝いている。 全身の錆が強烈な光が視界を焼き、過去の姿を幻視する。 白銀の輝きが全身を包み、さながら騎士のように佇む、かつての彼の姿を。 だがその眼窩の輝きは、そのような凛々しさを伴う光ではなかった。 金属の軋み、擦れる高音が響き、彼の左腕がゆっくりと上がってくる。 紅い光の中に、棒のような金属が見えた。 交差する立体に影が差し、彼の表情を作り上げる。 何一つ動いていない顔は、だが哀愁を纏っていた。 「君に、これを受け取ってほしい。」 そういって彼は、静かに左腕を差し出した。 寂れた無機質な掌がすこしずつ開かれていくにつれ、その正体が明らかになっていく。 それは一本の銀のフルートだった。 再びこちらに向けられた眼窩には、暖かい日が入り込み、私を見つめていた。 理解 # 「詩片兵装《 終端観測:ラグナ・ローカス 》」 数個の透明な円環が杭を成し敵を穿つ 「演算杭」を敵に打ち込むことにより、敵脳内部の演算機能を完全に停止 脳機能に速やかに「静かな介錯」を与える 支配 # 「詩片兵装《 喇叭無き軍旗 》」 巨大な円環が大弓の形式を成す その矢は「行進」、巨大にして心を穿つ矢 最大限引き絞って放たれた矢は、敵の核を掴み、心を破壊する これは束縛を解く力だった 空虚