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【荘厳なる旋律、精霊の守護者】アムドゥーシア

───────────────── 年齢不詳 身長138cm  自称、世界各国で楽器の演奏を披露し、その日暮らしの生活をしていた音楽家。 ─────────────────  嘗て無惨に刈り取られ、そのまま忘れ去られた罪。それは種となり、芽吹いた復讐心が根を張った。  その言葉は虚言か真言か。のらりくらりと悠々と、我関せずと平和を謳歌する長寿の亜人。その仮面の下に隠した荒れ狂う憎悪を【S-67】以外の誰1人として知る由はなく、全ては冷たい水底に沈んだ。 ───────────────── No. 【S-67】 コードネーム: アムドゥシアス  本人が長命種のエルフである為、詳細は不明だが【魔化学の国】にて確保。たまたま演奏しに来ていただけとの事。楽器の演奏で路銀を稼ぎ、各国を渡り歩いていた様子。各国の歴史や情勢に詳しく、また薬学知識が豊富な為、暫くは『研究の協力者』として様子観察となる。 ───────────────── 【S-67に纏わる研究報告書、何らかの原因により消失】 ─────────────────  誰よりも優れていたわけでも、とりわけ落ちこぼれていたわけでもなかった。それが良かった。それだけで充分だった。  よく両親には、「やれば出来るんだから」と呆れ混じりに言われていたが、その言葉にも棘はなく「まぁ、無理せずにあんたのペースでね」という言葉がセットだった。  期待を寄せられるわけでもなく、嘲笑されるわけでもなく、ぬるま湯のような緩い信頼感で、ある程度の義務と引き換えに与えられた自由を謳歌する。それが良かった。それだけで充分だった。 「やれば出来る子」は何かと自分にとって都合が良かった。「やらなくても出来る子」と「出来なくても頑張る子」がいつだって先導してくれるから。  弟が居た。それも皆の期待を一心に受ける程、とりわけ優秀な。それも良かった。期待は常にそちらへと向いていたから。比べられる事は多かったが、そもそもやる気のないあーしと、常に目標に向かって走り続ける弟の間に争いが起こる事など皆無で、皆直ぐにそれを理解し、比べる事に飽きて弟の方を見ていた。  凡ゆる物事に意欲的に取り組み、結果を残す度、尊敬と言うよりは、「やるとは思っていたけど、よくやるなー」と内心、両親が私に向けているような緩い信頼感を寄せていた。  そんな両親が流行病で呆気なく死んで、暫くしたある日、偉い人達が集まって考えたらしい。各国が戦禍に呑まれゆく中、我が国【妖精の国】と【魔化学の国】は和平を結ぶ為、互いに使者を送り合う事になった。双方の国が選定したその中に、あーしの弟も居た。家を出ていくときの、いつもと変わらぬ真っ直ぐな眼差しを見て、いつものように「よくやるなー、またやり遂げるんだろうなー」などと緩い信頼感で見送った。  そう、信じていたのだ。愚かにも。こいつなら出来ると。「帰って」来ると。あーしと違って優秀な弟なら。  いつの世も、信じる者が掬われるのは足。それが真理だった。結果として弟は「返って」来た。首だけで。 ───────────────── 【妖精の国】出身。弟は禁術を使われた事によって、持っていた全ての情報を抜き取られた後、殺害された。  その結果として弟は『売国奴』の烙印を押され、姉であるアムドゥーシアは国を追われた。しかし彼女は弟の頭部に残された魔力の痕跡を1つ1つ辿り、生き残っていた禁術使い達を1人残らず発見。復讐を遂げた。  その後祖国【妖精の国】へと戻り、弟の名誉挽回と引き換えに禁術使い達の首を提出。更に、弟の技術が【魔化学の国】研究所の手に渡っていた事が判明。それらを回収する為に身分を偽り、単身で【魔化学の国】の研究所に忍び込んだ。 ─────────────────  入って直ぐに理解した。この国はもう長くないと。  そこに有ったのは研究所なんて物じゃなかった。人の手に負えない禁忌と、明らかに精神に異常をきたした者達の巣窟だった。  過労からなのか、禁忌に触れたからなのか、感情の起伏が激しい研究者達に必要なのは研究成果ではなく、救いを差し伸べる道標だった。闇は深く、故に光を差し込むのは簡単だった。思っていたよりも遥かに早く、その心の隙間に入り込んだ。  いつの間にか研究員達は、あーしを研究対象から仲間だと認識したらしい。行動の制限は明らかに甘くなった。 ─────────────────  人の命は短い。彼らはそれを『弱み』だと認識していた。故に長命であるあーしを『わざわざページまで開いてくれる便利な辞典』だと認識したようだ。人の『強み』は短命故のサイクルの速さだと言うのに。故に人は愚かな一方、とても恐ろしい。そのサイクルの速さを『強み』だと認識されてしまうと、我々エルフでは到底追いつけない。  既にあーしにも投与されたという『設定』の、未曾有の薬品についてはさっぱりだったが、精霊については我々の得意分野だった。我が国でも戦禍で多くの精霊が姿を消し、人工的に作られた精霊達がその代わりを担っていた。  あーしの事を特に重宝していたグループは、人工的に作り出した精霊を使い、様々な研究をしていた。  それは弟から奪った技術で精霊を量産し、量産した人工精霊を生体兵器として運用する研究だった。弟がせめてもの平和を維持する為に行っていた長年の努力は、コイツらの我欲に潰され、奪われたのか。弟の技術が、弟が1番望まぬ形で使われていく度、手先は震えて冷め切り、腑は煮えくり返った。  だが信頼を勝ち取る為には、やるしか無かった。そうして、あーしがひた隠しにした憎悪から産まれたのが『セルム』だった。 ─────────────────  楽しい時にセルムは踊り、セルムが踊れば水が湧いた。ただ、世界はそういう風に出来ていた。  セルムは貪欲な奴だった。謎の薬剤を打たれても唯一生存し、何にでも興味を示した。新しい事をどんなに学んでも、学び足りないようだった。  腐っても精霊だったからか、あーしは異様に懐かれた。手に取れる全ての物を抱え、こちらに駆け寄って来る度に、貪欲に知識を追い求めていた弟が頭にチラついた。まるでそれは弟を模したつもりのようで、けれども何1つ再現できていない粗悪品のようで、そのぎこちない不恰好な笑顔を殴り飛ばしたくて仕方なかった。  あーしの名前を覚えて、口に出した日に感じた底知れぬ恐ろしさは今でも覚えている。セルムが新しい事を覚える度に、弟がコイツに食いちぎられ、醜く咀嚼されているようで、とても口に出せないような悍ましい方法で葬り去りたくて仕方なかった。弟の技術を回収し終わるまでの関係だと必死で耐えながら、他の被験体の研究レポートを読み漁り、出来る限りの情報をかき集めた。  最近の『お気に入り』は、あーしのトランペットに合わせて踊ることらしい。あーしは最早、コイツが何をしても何もしなくても腹が立つ段階に完全移行していたので何故かと問うた。 「アムドゥーシアは特別だから」  と、ぎこちない笑みを浮かべた。気味が悪い。何が特別だ。弟の形見面しやがって。やめろよ。弟はそんな顔で笑わないんだよ。やめろよ。慕うなよ。 ─────────────────  セルムの興味はやがて外の世界へと向いたようだった。壁の向こうに何があるかだとか、ここ(研究所)を出たら何があるかだとか。研究員が空やら森やらの写真を手渡した日は本当に最悪の1日だった。青い空なんてもう何処にも無いんだよ。全部灰色に濁ってんだよ。そう言えば良いのに、嘘吐きの口はとうとう、自分すら裏切るような嘘すら吐くようになったらしい。 「いつか、一緒に観に行こうね」  気がつけば、何故かそう呟いていた。本当に最悪だった。 ─────────────────  この日、グループ内のリーダー格の研究員が生体兵器に襲撃されて死んだ。死体は見るに耐えない状況だったらしい。 セルムが死を理解出来ているかは不明だったが、『居なくなった』という事は理解したようだった。 「アムドゥーシアは、何処にも行かない?」  あーしの目を見て静かに問うた。馬鹿が。情報さえ抜き取れば、今すぐにでも居なくなりたいぐらいだ。そう言えたら良かったのに、あーしの口は乾いた笑いと共に「何故そう思ったのか」と逆に問うた。その声は、自分の物とは思えないくらい震えていた。 「アムドゥーシアは、僕の事を嫌いだから」  全てを見透かされたようで、何も言えなかった。嘘すら吐けなくなった自分に絶望した。ただ、髪を整えるようにセルムの頭を撫でた。  自分の身体の中を黒くてグチャグチャした何かに塗りつぶされていくかのようで、自分が何をしたいのかを考えれば考える程、分からなくなった。 ─────────────────  リーダー格が死んでからは、まるで精霊での実験に飽きたかのように、他の研究が優先されていった。セルムは突然遊んでくれなくなった研究員達を見て困惑し、更にあーしから離れなくなった。そろそろ限界が近い事を肌で感じた。  セルムの存在そのものが秘匿された存在だからか、それらに関わる情報は一箇所に纏められていた。セルムに関する物事の中で唯一、それだけは良かった。後はそれを持ち出すだけ。だが、幾ら管理が杜撰になっていたとしても困難である事は明らかだった。  しかし突然、運があーしに向いてきた。思わぬ共犯者を手に入れたのだ。それは手癖が悪くて臆病で嘘吐きな『御令嬢様』だった。  初めは偶然かと思ったが、暫く観察している内に確信した。『御令嬢様』はあーし以外の誰にも悟られずに、こっそりと『盗みの天才』を隠し持っていた。  だから交換条件を持ち込んだ。死んだ事にして逃してやるから、セルムに関する情報を全て持ち去って、出来る限り遠くへ逃げろと。  万が一拒否しても、お前の力を研究員達に報告するとか、処分するとか言って脅せば良いと思っていたが、『御令嬢様』はあーしの要求をあっさりと呑んだ。 「拒否権はないのだろう」  吐き捨てるような無感情な声は、まるで幼い頃から無力感だけを学習してきたようだった。 『臆病な嘘吐き』は良い。『勇敢な正直者』と違って、迂闊な行動を取らない。信頼は出来ないが、いつでも切り捨てられる。  ただ、臆病な嘘吐きには細心の注意を払わねばならない。こちらの油断を誘ったところで急に刺してくるものだ。少なくとも、あーしがそのタイプだ。 ─────────────────  ある日突然、セルムを外に出す事が決まったとの通達が入った。兵士達の飲み水が枯渇しているらしい。しかし、セルムはあれだけ出たがっていた外に出る事を激しく拒んだ。  あーしはただ『懐かれている』というだけで、周囲からセルムを説得するように命じられた。機嫌を損ねて踊るのを拒否されれば、元も子もないと。  いつもだったら大人しく言うことを聞くと言うのに、その日ばかりは違っていた。 何が一体気に入らないのか。どんな言葉も一切届かず、何を言っても嫌がるコイツを見るのは初めてだった。何故だと問うても言葉は返って来ず、本当にどうしたら良いのか分からなかった。次の一手を迷っている間に、痺れを切らした研究員がセルムを引き摺って行った。  セルムの姿を見られなかったのは数日だけだったと言うのに、妙に長く感じた。あれだけ煩わしかったのに、何故か落ち着かない気持ちで一杯になる自分が理解出来なかった。  アイツを外に連れ出すより数日前だったと思う。「どうしても制御できないから」と、あーしは研究員達に呼び出された。セルムを外に出す際、あーしも同じ部隊に編成するのだと。 ……あれだけ殺したくて仕方がなかったのに、研究員に引き摺られるアイツを見ているだけだった事を、あーしは後悔する事になる。 ───────────────── ──そこに居たのセルムは、セルムじゃなくなっていた。記憶はおろか、知能さえ奪われ、『閉鎖された幸福感』の中に囚われた怪物だった。 「反抗するから中枢を弄ったら壊れた」 「けれども飲み水は際限無く出せるので、予定通り戦地に派遣するつもりだ」 「知能がないから脅しは効かないが、お前の言う事は聞くかもしれない」  殴られたような激しい衝撃の中、あーしは研究員達の言葉の数々をただただ聞き流した。人生で何度も殺してきた自分の心を殺しながら。  その夜、『御令嬢様』に、セルムやあーしに関する情報の一切を叩きつけ、手筈通りに逃した。  不幸にも生体兵器に生きたまま喰われて、僅かな欠片だけを残す事になった『御令嬢様』は、随分とお出かけを楽しみにされておられたようで、ご丁寧に死んだ研究員からカードキーまで盗んで……否、『蒐集』していた。 ─────────────────  それからは、制御不能と化したセルムと激戦地に派遣され最悪だった。草木も生えない不毛の地とエルフの相性は悪い。常に身体は鉛のように重い。  幸福感以外の感情を削除されたセルムは、味方だろうが敵だろうが人影を見つけると戯れようとする。  その癖、あーし以外とは手を絶対に握らない。地雷原でも動き回るから常に手を握っていた。誰とでも遊びたがる癖に、他の隊員が何処かに連れて行こうとすると、満面の笑みを浮かべながらも拒絶した。  一体コイツが何を気に入らないのか、分からなかった。否、あーしが勝手に分かっていたつもりになっていただけで、最初から何1つ分かっていなかったのかもしれない。  ただ、それでもあーしのトランペットに合わせてコイツは踊り、コイツが踊れば水が湧き出た。世界は相変わらず、そういう風に出来ていた。そして、常に死が周囲に充満していた。 ……敵兵から襲撃を受けたのだ。あーし達の居た隊は。本当に理解出来なかった。咄嗟にコイツを庇った自分の身体が。 ─────────────────  震えて寒いのに、身体の左半分が熱い。吹き飛ばされた左腕は拾いに行くには余りにも遠く、見て見ぬふりをした。  セルムを引き摺り、崩れた建物の影に隠れた。下手に魔術を使って探知されたら厄介だ。半壊したメディカルポーチをひっくり返して漁る。止血剤も包帯も使い物にならなかったと言うのに、1本の注射器だけは無傷だった。 「あーしへのギフト、ねぇ……」  思わず声が漏れた。なんて安っぽい運命だろうか。人を不死の怪物へ変貌させる薬剤。打てば高確率で死ぬ。しかし打たなければ確実に死ぬ。今を繋がなければ未来は無いのだ。セルムが顔を覗き込む。何一つ理解出来ず、楽しそうだ。迷いに足を取られている暇は無かった。  空になった注射器を捨て、残った右腕でセルムの手を握る。コイツの事なんか好きじゃない。手がかかるし、訳が分からない。うざったいのに、居なければ姿を探してしまうし、傍に居ると何故か満足する。訳がわからない。でも、この手を離せばまた後悔する。それだけは分かる。  こんな奴、本当に好きじゃないんだ。それなのに、否定する度に胸が痛むのは何故だろう。この手を離したくないのは何故だろう。自分の口を走る言葉の全てが、自分の心を駆け巡る想いの全てが、何が嘘で何が本当か分からなくて、締め付けるような痛みが、ざらりと胸の奥を撫でる。  ただ後悔に捕まらないように、今を必死に繋いだ。視界が霞む。退路は無い。進むべき道も分からない。考えが纏まらない。どんどん自分が遠退いていく。 「居たぞ」  冷たい声。囲まれるのはあっという間だった。ありったけの声で叫んだ。セルムだけは見逃して欲しいと。助けてもらえるだなんて微塵も思っていない口で。 どうせ死ぬくせに、鼓動が煩い。ただ生きるだけが、なんでこんなにも苦しいんだよ。  髪を掴まれ、銃口の無機質な感触が額に伝わった時だと思う。歌が聞こえた。  あーしが気紛れに吹いてやっていた音楽がセルムの口から流れ出た。澄んだ声はまるで清流のようだ。必死に繋ぎ止めていたあーしの手を容易く離れてセルムは踊った。  その瞬間、世界は思い出したかのように、セルムに呼応した。敵兵達が一斉に武器を捨てたのだ。まるでコイツの意向を全て汲み取るかのようで、得体の知れない恐怖に襲われた。敵兵達が輪になって踊り出し、湧き出た水が光を反射して渦を巻いた。笑顔あふれる、間抜けで悍ましい光景。遠退く意識の中で見た最後の光景は、あまりにも楽しげで、寒気がした。  そうして、手放した意識をあーしが取り戻した時には、全てが終わっていた。 そこに有ったのは、草木も生えない不毛の地だった筈の森。凡ゆる建造物を破壊し尽くした鮮やかな植物の数々。小鳥の囀り。澄んだ泉の底に沈む敵兵だったもの。  セルムが踊れば、水が湧き、森が育った。  セルムが踊れば、森に入り込んだ者も踊り、水底に沈んだ。世界はそういう風に出来てしまった。 あーしのどんな考えも、『世界の仕組み』の前にはちっぽけだった。 せめて誰も入れないように、あーしとセルムの2人だけで世界が完結できるように、結界を張った。 ─────────────────  セルム……否、殺しても殺せぬ怪物は、いつだって晴れ渡る空のように、屈託の無い笑みを浮かべている。 なんでだよ。空はお前のお陰で青さを取り戻したのに、お前はなんで居ないんだよ。なんでだよ。なんでお前はここにいるのに、どこにも居ないんだよ。 ……やめろよ。セルムはそんな顔で笑わないんだよ。 ─────────────────