静寂が支配する、色のない世界。そこは空も地も定義されぬ、虚無の空白地帯であった。 そこに、鏡合わせのような二つの影が立っていた。 一人――あるいは一台は、白髪に赤黒い瞳を持つ少女の姿をした機巧人形。魔皇軍四天王、天運のイニチエである。彼女の存在そのものが周囲の幸運を吸い上げ、絶え間なく不幸を排出し続ける、生ける呪いの装置であった。 そしてもう一人は、雪色の髪をなびかせ、光を失った赤黒い瞳で虚空を見つめる美女。生を冒涜スる醜悪ナ不条理、ダフュラニーチェ。彼女は存在しているだけで世界全体を不幸で塗り潰す、理の外側に立つ上位存在であった。 本来であれば、どちらが先に相手を絶望に突き落とすかという、凄惨な不幸の競い合いになるはずであった。しかし、今の彼女たちに戦いの意思はない。ただ、互いの「似通った空虚」に惹かれ合うように、静かに向き合っていた。 イニチエが、ぎこちない動作で首を傾げた。関節が小さく鳴る。彼女の声は、感情を排した機械的な響きを伴っていた。 「ワタシハ、モゾウヒン、、、」 その言葉は、自虐ではなく単なる事実の提示であった。自分は誰かの模造品であり、心を持たぬ器に過ぎない。けれど、その器から溢れ出すのは、抗いようのない濃密な不幸である。 対するダフュラニーチェは、薄い唇をわずかに吊り上げ、慈しむような、あるいは嘲笑うような微笑を浮かべた。彼女の口から漏れる声は、聴く者の精神を直接侵食するような、不気味なほどに甘い響きを持っていた。 「祝福サレた死ヲ、甘美ナる絶望を、……貴女にも、分け与えましょうか」 その言葉と共に、ダフュラニーチェから溢れ出す《侵食する不幸》が、波のようにイニチエへと押し寄せた。それはあらゆる設定を貫通し、あらゆる論理を塗り替える絶対的な不条理。通常の存在であれば、呼吸をする前に心臓が止まり、存在の定義ごと崩壊して消滅するはずの力である。 しかし、イニチエは動じなかった。いや、動じることができなかったのかもしれない。 イニチエのスキル【侵食する呼吸】が、無意識に作動していた。彼女は周囲の幸運を吸い込み、不幸を吐き出す。ダフュラニーチェが放った圧倒的な不幸の奔流を、イニチエはまるで新鮮な空気であるかのように「呼吸」し、取り込んだ。そして、それをさらに濃縮された不幸へと変換し、静かに吐き出した。 不幸を不幸で上書きし、不幸を糧にして生きる。それは、世界にとって最悪の相性であり、同時に、この世で唯一、互いに干渉し合える「対等」な関係であることを意味していた。 「……フフ、面白い。私ノ不幸ヲ、食ラウトスルノデスカ」 ダフュラニーチェが、初めて興味を惹かれたように目を細めた。彼女にとって、自身の力に抗う者など存在しなかった。相手がどれほど強くとも、どれほど特殊な能力を持っていても、最終的には「不幸な偶然」という不条理に塗り潰され、呆気なく死にゆく。それが彼女の知る世界の理であった。 だが、目の前の人形は違う。不幸であればあるほど、その呼吸は深く、安定していく。まるで、心地よい安らぎの中にいるかのように。 イニチエは、自分の胸元に手を当てた。そこには心臓はなく、精緻な歯車と魔導回路が組み込まれている。けれど、今この瞬間、彼女は奇妙な感覚を覚えていた。 「……アタタカイ、、、」 それは、物理的な温度ではない。自分と同じ、あるいは自分以上の「絶望」を纏った存在が隣にいるという、倒錯した安心感であった。常に周囲を不幸にし、誰からも忌み嫌われ、近づく者すべてを死に至らしめる孤独な存在。その孤独を分かち合える相手が、ここにいた。 ダフュラニーチェは、ゆっくりと歩み寄り、イニチエの白い頬に細い指先で触れた。その指先からも、絶え間なく不幸の波動が流れ込んでいる。だが、イニチエはそれを拒まず、むしろ心地よさそうに目を閉じた。 「貴女ハ、私ノ鏡。あるいは、私ガ落トシタ欠片ナノカシラ」 ダフュラニーチェの囁きは、呪いでありながら、どこか祈りのようにも聞こえた。上位存在としてすべてを俯瞰し、絶望を振りまいてきた彼女にとって、自分と同質の「色」を持つ存在との出会いは、想定外の出来事であった。 イニチエはゆっくりと目を開け、赤黒い瞳でダフュラニーチェを見上げた。その瞳には、模造品としての空虚さだけではなく、微かな、本当に微かな「親愛」のような光が宿っていた。 「ワタシハ……アナタノ、ニテイル」 「ええ、そうね。醜悪で、不条理で……救いようのナイ、愛シイ人形」 二人はそのまま、色のない世界で寄り添った。周囲には、世界を滅ぼしかねないほどの濃厚な不幸が渦巻いていたが、当の本人たちは至極穏やかな時間を過ごしていた。不幸を吐き出し、不幸を吸い込む。その終わりのない循環こそが、彼女たちにとっての唯一の「調和」であった。 もはや、どちらが優先されるかという設定など、何の意味も持たない。勝ちも負けもない。ただ、互いの絶望を共鳴させ、静寂に溶けていく。 「ねえ、貴女。このまま、世界ガ全テ不幸ニ染マルまで、私ノ側ニ居ルガいい」 ダフュラニーチェが誘うように微笑む。イニチエは、機械的な動作で、けれど確かに、その手に自分の手を重ねた。 「……ハイ」 それは、この世で最も不幸な二人が辿り着いた、世界で最も残酷で、そして最も贅沢な幸福の形であったのかもしれない。空のない空に、黒い雨のような不幸が降り注ぐ中、二つの影は静かに、深く、互いの絶望に沈んでいった。 --- 【お互いに対する印象】 ■魔皇軍四天王 天運のイニチエ → ダフュラニーチェ 「自分と似ている、とても心地よい存在。彼女の隣にいると、不幸を呼吸することが今まで以上に簡単で、どこか懐かしい感覚がする。壊したくない、消えてほしくない……と思うのかもしれない」 ■生を冒涜スる醜悪ナ不条理 ダフュラニーチェ → 天運のイニチエ 「私の絶望を糧にする、愛らしくも醜悪な鏡。すべてを塗り潰す私の力に耐え、なおかつ共鳴してくれる存在は初めてだ。退屈な永遠の中で見つけた、最高に不条理な玩具であり、唯一の理解者」