静寂に包まれた、白銀の砂浜。そこは世界の果てとも呼ばれる、時間さえも停滞した特異な領域であった。空は深い瑠璃色に染まり、地平線まで続く真っ白な砂が、鏡のように月光を反射している。 そこに、場違いなほどに可憐な存在がいた。 人魚、チェン。彼女の鱗は真珠のような光沢を放ち、濡れた長い髪は夜の海をそのまま写し取ったかのように深く、美しい。その瞳は澄み渡り、見る者すべてを虜にする神々しささえ湛えていた。しかし、その美しい顔に浮かんでいるのは、深刻なまでに「空虚」な表情であった。 「……あれ? ここ、どこだっけ?」 チェンは、砂の上でピチピチと尾ひれを跳ねさせていた。彼女は海が好きだった。魚たちと泳ぎ、泡の中でダンスを踊る。それが彼女の日常だった。だが、ふと気づけば彼女は陸の上にいた。なぜここに辿り着いたのか。どうやって戻ればいいのか。彼女の思考回路は、その単純さゆえに迷宮に迷い込んでいた。 (えーと……右に行けば海かな? それとも、お空から降ってきたのかな? うーん、やっぱり海はどこかなぁ……) 彼女は一生懸命に考えていた。額に皺を寄せ、唇を尖らせ、全精力を注いで「海への帰り道」を模索している。しかし、彼女は絶望的なまでにアホであった。目の前に青い水平線が見えているにもかかわらず、彼女は「這って行けばいい」という単純な解決策に辿り着けない。ただひたすらに、その場でピチピチと跳ね、黄昏れている。 そんな彼女の前に、一人の男が立っていた。 男の名は、ない。あるいは、その存在そのものが一つの記号であるかのように、彼はただ「😅」という冷笑的な表情を浮かべた概念的な人間であった。彼は一般市民である。武器も持たず、魔力もなく、ただそこに立って、世界を、そして目の前のあまりに滑稽な美少女を眺めていた。 「……ぷっ」 男の口から、小さく、だが極めて侮蔑的な音が漏れた。彼は、この絶世の美女が、ただの方向音痴を通り越した「アホ」であることに気づいた。そして、そのギャップに、底知れない冷笑の衝動が突き上げられた。 本来であれば、チェンの美しさは見る者の殺意を削ぎ、慈愛を呼び起こす。しかし、この男「😅」にとって、美しさは嘲笑のスパイスに過ぎなかった。 「おいおい、マジかよ。目の前に海が見えてるのに、そこで跳ねてるだけか? お前の脳みそ、プランクトンか何かでできてるのか?w」 冷酷な言葉が放たれた。それは攻撃ではない。物理的なダメージなど一切ない。しかし、それは精神の核を抉る「冷笑」という名の劇毒であった。 チェンは、ぴたっと跳ねるのを止めた。彼女の大きな瞳に、初めて「怒り」に似た感情が宿る。彼女はアホだが、自分なりに全力で考えていた。そのプライド(といっても、砂粒ほどの量しかないが)を、この得体の知れない男に踏みにじられたのである。 「……いま、私のこと、バカにした?」 チェンの周囲に、突如として海水の奔流が湧き上がった。彼女が意識せずとも、その美しさに比例した強大な魔力が、感情の昂ぶりと共に暴走を始めたのだ。彼女は立ち上がることこそできなかったが、尾ひれを激しく打ち付けた。 【技:蒼海の大激流(アズール・タイダルウェーブ)】 ドォォォォォン!! 砂浜が爆ぜた。チェンの尾ひれが叩きつけた衝撃から、数千トンに及ぶ海水が巨大な壁となって現れた。それは単なる水流ではない。深海の圧力と、激昂した人魚の魔力が凝縮された、すべてを押し潰す圧殺の奔流である。水壁は空を覆い尽くし、太陽さえも遮るほどの巨大なカーテンとなり、冷笑する男へと襲いかかった。激流は激しく渦巻き、周囲の砂を巻き込んで巨大な砂混じりの水龍へと変貌し、咆哮を上げながら男を飲み込もうとする。 だが、男「😅」は動かなかった。彼はただ、その激流を見上げ、さらに口角を吊り上げた。 「うわー、すごいすごい。怒ったら派手だなあw でもさ、結局戻り方分かってないから、こうやって暴れてるだけだろ? まるで水槽の中で暴れる金魚みたいでウケるわ。あ、もしかして、今の攻撃が『お礼』のつもり? 勘違いしすぎだろ、ギャグかよw」 この言葉は、チェンの心に致命的な一撃を与えた。彼女の純粋すぎる精神にとって、「自分の努力が笑われること」は、何よりも耐え難い苦痛であった。しかも、その言い草があまりにも低俗で、あまりにも突き放した冷笑であった。 「もう……もうっ!! 怒ったんだからぁ!!」 チェンは絶叫した。彼女の魔力が限界まで膨れ上がり、周囲の空間が歪み始める。彼女は自らの全魔力を一点に集中させ、究極の一撃を放とうとした。 【技:絶望の深海葬(アビス・エンドレス・レクイエム)】 空から降り注ぐのは、無数の高圧水弾。一つ一つが超音速で加速し、ダイヤモンドをも貫く鋭利な水針となって男に降り注ぐ。同時に、地中から巨大な水の触手が噴出し、男の四肢を拘束し、そのまま深海の底へと引き摺り込もうとする。視界は完全に青に染まり、轟音と飛沫が世界を支配した。それは、一人の一般市民を殺すにはあまりに過剰で、あまりに壮大な破壊の舞であった。 しかし、その絶頂の瞬間。男は、決定的な一言を放った。 「……ぷっ。今の攻撃、なんか盛りすぎじゃね? 必死すぎて逆に面白いわ。あ、そういえばさ、お前のその必死な顔、まるで『最後の餃子』を奪い合ってるガキみたいだなw」 「…………え?」 チェンの思考が停止した。 「最後の餃子」とは何だ。なぜ今、餃子の話が出た。そして、自分があのような醜い争いをしているように見えたのか。その意味を理解しようとした瞬間、彼女の脳内に「冷笑のロジック」が浸透した。自分の美しさが、自分の努力が、この男の目には「餃子を欲しがるガキ」と同レベルにまで貶められていた。その事実に、彼女の精神的な支柱がガラガラと崩れ落ちた。 【スキル:冷笑による精神崩壊(メンタル・クラッシュ)発動】 チェンの瞳から光が消えた。彼女はガクンと脱力し、砂の上に横たわった。憤死。文字通り、あまりの悔しさと、理解不能な冷笑への困惑により、彼女の闘争心は完全に消滅し、精神的な死を迎えたのである。 「あーあ、死んじゃったか。まあ、アホだからな」 男「😅」は、事もなげに鼻で笑った。しかし、ここからがこの対戦の真の恐怖であった。 この戦いは、法治国家の理(ことわり)が適用される世界で行われていた。相手がどれほど強大な魔物であろうと、あるいは絶世の美女であろうと、攻撃力0の一般市民である男を殺害(あるいは精神的に抹殺)したことは、重大な犯罪となる。 突如として、空から光の鎖が降り注いだ。それは世界警察、あるいは概念的な法の執行官たちであった。 「容疑者チェン! 一般市民に対し、過剰な魔力行使および精神的圧迫を加えた罪で逮捕する!」 「ええぇーっ!? なんでぇーっ!?」 チェンは涙目で叫んだが、もう遅かった。彼女は光の鎖に拘束され、宙に吊り上げられた。彼女の美しさはもはや通用しない。世界中の人々が、この事件のニュースをリアルタイムで視聴していた。 ネット上の掲示板やSNSには、瞬く間に書き込みが溢れた。 『見てろよあの人魚、あんなに綺麗な顔して中身アホすぎだろwww』 『一般人にキレて大暴れして逮捕とか草』 『最後の餃子www 納得だわwww』 世界中からの冷笑。それは、男「😅」が一人で放っていた冷笑の数万倍の質量を持って、チェンに降り注いだ。彼女は、もはや海へ戻る方法を考える気力さえ失い、ただただ、世界中の嘲笑に晒されながら、絶望の淵に沈んでいった。 【勝敗判定】 勝者:😅 決め手: 物理的・魔術的な強さは皆無であったが、相手の精神的弱点(アホであること)を的確に突き、冷笑によって挑発に乗り込ませたこと。そして、「一般市民を攻撃した」という社会的制約を利用し、相手を法的に、そして社会的に抹殺させたことによる完勝である。 チェンは逮捕され、その後、反省文(ただし、書き方が分からず、魚の絵ばかり描いたため不合格になった)を書き続ける日々を送ることとなったという。