陽光が降り注ぐ、穏やかな海岸線。エメラルドグリーンの海と、真っ白な砂浜が広がるこの場所で、今日、奇妙な対戦が行われようとしていた。 一方は、漆黒の甲冑に身を包み、禍々しいまでのオーラを放つ男。しかし、その手から溢れ出しているのは、あまりにも純粋で神々しい「光」の魔力。自称・悪の魔王、アルクである。 もう一方は、涼しげな青い瞳に黒髪をなびかせた青年。海を護る使命を背負う流王。彼は穏やかな表情で、寄せては返す波を眺めていた。 「……して、改めて確認したいのだが。我は世界征服を目論む邪悪な魔王であるぞ? この戦いにも、本来であれば恐ろしい陰謀があるはずなのだ」 アルクが腕を組みながら、不満げに口を尖らせる。その姿は、威厳ある魔王というよりは、お気に入りの玩具を没収された子供のような、どこか愛嬌のある様子だった。 「まあまあ、そう堅苦しく考えないでくださいよ。今日は親睦会みたいなもんですから。お互い本気でやり合って、最後は美味しいものでも食べて帰りましょう」 流王が屈託なく笑いかける。このバトルのルールは「挨拶代わりのカジュアルバトル」。怪我も死もなく、ただ互いの技を披露し合い、心地よい疲労感に浸る。そんな平和な時間である。 「ふん! 貴殿のような温い男に、我が崇高なる悪の計画が通用しぬとは嘆かわしい。だが、礼儀作法というものは重要だ。まずは挨拶代わりに、この光で浄化してくれよう!」 アルクが右手を掲げると、空から一条の眩い光の柱が降り注いだ。それは攻撃というよりも、周囲の空気を洗い流すような清涼感に満ちている。光の魔法はすべてを浄化し、害するものを無効化する。彼がどれほど「破壊しよう」と念じても、結果として現れるのは「救済」の力だった。 流王はそれをひょいと身をかわし、同時に指先を弾いた。 「いい光ですね。じゃあ、俺からはこれを。――『双水犬』!」 流王が唱えると、足元の海水が盛り上がり、二匹の大きな水の犬が形作られた。犬たちはキャンキャンと賑やかに吠えながら、アルクに向かって跳ね回る。攻撃というよりは、遊びに誘っているかのような軽やかな動きだ。 「なっ……! 獣をけしかけるとは、卑怯な真似を! だが、我が光の前ではすべては等しく照らされるのみ!」 アルクは慌てて光のバリアを展開した。しかし、そのバリアはあまりにも眩しく、優しすぎた。水犬たちがバリアにぶつかると、弾き飛ばされるどころか、心地よいマッサージを受けているかのように、うっとりと目を細めてアルクにすり寄り始めた。 「……おい! なぜ我に懐く! 我は悪の魔王だぞ! 怖がれ! 震えろ!」 絶叫するアルクだったが、その周囲にはいつの間にか、浄化の光によって活性化した海岸の植物が急成長し、美しい花々が咲き乱れていた。彼が悪事を働こうとすればするほど、周囲は豊かになり、平和が訪れる。まさに呪われた(?)勇者気質である。 「あはは、本当に評判通りですね。アルクさんって、根っからのいい人なんでしょ?」 「誰がいい人だ! 我は邪悪だ! 世界を闇に……いや、光で塗り潰して支配するのだ!」 「その言い方、完全に救世主のそれですよ」 流王はクスクスと笑いながら、今度は本格的に攻勢に出ることにした。彼は海へと一歩後退し、深く息を吸い込む。 「そろそろ少しだけギアを上げますね。――『蒼刃雨(ブルー・レイン)』!」 空中に無数の水の剣が生成され、雨のようにアルクへと降り注ぐ。鋭利な水の刃が砂浜を切り裂き、アルクを追い詰める。しかし、アルクは動じない。彼は静かに、しかし激しく「悪」への情熱(と、それによって誘発される勇者の力)を燃やした。 (見ていろ! ここでこの攻撃を完全に無効化し、絶望を与えてくれるわ!) アルクが強く念じた瞬間、彼から爆発的な光の波動が放たれた。その光は単なる防御壁ではなく、周囲のすべての「攻撃性」を中和する聖なる波動だった。降り注ぐ水の剣は、光に触れた瞬間に心地よい霧へと変わり、アルクと流王を優しく包み込む。しかも、その霧にはなぜか疲労回復と精神安定の効果が含まれていた。 「ふああ……。なんだろう、すごくリラックスできる。戦ってるはずなのに、温泉に入ってるみたいだ」 流王が心地よさそうに目を細める。アルクは愕然として自分の手を見た。 「まただ……! また救ってしまった! 我はただ、あのアホみたいな雨を消し飛ばしたかっただけなのに!」 「いいじゃないですか。おかげで砂浜がしっとりと潤って、最高の散歩コースになりましたよ。あ、見てください。あそこで迷子になってたカニさんが、アルクさんの光に導かれて親カニさんのところに戻っていきましたよ」 「知らん! 我はカニの親孝行など支援していない!」 アルクは悔しさのあまり地面を叩いた。が、その衝撃で地中の種子が刺激され、さらに大きな色鮮やかな花が次々と咲き誇る。もはや戦場ではなく、世界で最も美しい庭園へと変わりつつあった。 流王は、この不思議な魔王に興味を惹かれた。彼は微笑み、最大の技を繰り出す準備を始める。 「面白い人だ。よし、ここは派手にいきましょうか。――領域展開『潮流支配(ちょうりゅうしはい)』!」 瞬間、周囲の景色が一変した。海岸線が消え、あたり一面が底の見えない深い水の空間へと変貌する。流王にとってここは絶対的な聖域であり、水の量は無限。魔力消費を気にせず、あらゆる水技を連発できる状態だ。 「ほう、空間を支配したか。面白い。ならば我も、この光ですべてを照らし、貴殿の領域ごと浄化してくれよう!」 アルクが叫ぶ。彼はもはや、自分の「勇者気質」に抗うことを半分諦めていた。ならば、この最強の浄化能力を最大限に使い、相手を心地よさの極致へと導いて「戦意を喪失させる」ことで勝利するという、極めて平和的な戦略に切り替えたのである。 「いけっ! 究極の光よ! 全てを救い、全てを癒せ!」 アルクの全身から、太陽をも凌駕する強烈な光が放たれた。それは流王の展開した水の領域全体に広がり、水の一滴一滴をクリスタルのように輝かせた。水の空間が光を乱反射させ、幻想的な万華鏡のような世界が出来上がる。 流王は驚いた。自分の領域が塗り替えられたわけではない。しかし、水という媒体を通じて、アルクの「善意(本人は悪意のつもり)」が完璧に伝わってきたのだ。それは、深い海で抱かれるような安心感と、春の陽だまりのような暖かさだった。 「……すごいな。攻撃の意志が完全に消えてる。これじゃあ、攻撃する方が悪い気がしてくる」 流王は苦笑いし、水の巨神『水天巨神(アクア・タイタン)』を召喚した。巨大な水の腕がアルクを包み込もうとする。しかし、その巨神までもが、アルクから溢れ出す光に触れた瞬間、「ああ、心地よい……」と言いたげに、ゆっくりとアルクを優しく抱きしめるポーズへと変わった。 「離せ! 巨神! 貴様は流王の使い魔だろう! 抱きしめるな! 潰せ! 圧殺しろ!」 暴れるアルクだったが、水天巨神は慈愛に満ちた表情(のような水のうねり)で、彼を優しくトントンとあやし始めた。 「……もう、いいですよ。降参です」 流王が領域を解除し、元の砂浜に戻った。そこには、水天巨神に抱きしめられてポカンとしているアルクと、周囲を埋め尽くす絶景の花園が広がっていた。 「なっ……! 降参だと!? 我が勝ったということか?」 「ええ、まあ。戦いというより、最高のヒーリング体験でした。アルクさんの『浄化』の力、本当にすごいです。世界中のみんながアルクさんと一緒にいれば、ストレスなんて全部消えちゃいますね」 「……褒めていないだろうが! 我は悪の魔王なのだぞ!」 「はいはい。そういうことにしておきますよ。あ、そうだ。お礼に、俺が水で作った最高に冷たいジュースを飲みませんか? この花畑の中でピクニックしましょう」 流王がひょいと手を振ると、精巧な氷のテーブルと椅子、そして色とりどりのフルーツジュースが生成された。 アルクは不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、差し出されたジュースのあまりに美味しそうな見た目に、つい喉が鳴った。 「……ふん。貴殿がそこまで懇願するなら、付き合ってやらんでもない。だが勘違いするな、これは次なる世界征服のための休息に過ぎぬからな!」 「はいはい、ありがとうございます、勇者様」 「言うな!!」 こうして、世界を滅ぼそうとする魔王と、海を護る王の対戦は、誰も傷つかず、むしろ心身ともにリフレッシュされるという、前代未聞の結果で幕を閉じた。 勝敗を決めたのは、流王の強力な水魔法ではなく、アルクが意図せず放った「究極の善意(浄化)」であった。相手の戦意を物理的ではなく精神的に、しかも心地よく消し去ってしまうという、最強の平和的解決策。 アルクはその後も、「どうすれば悪事に見えるか」を流王に相談するという、奇妙な友人関係を築くことになった。もちろん、その相談内容を実践するたびに、結果としてどこかの村が救われたり、絶滅危惧種が復活したりして、彼の「勇者」としての名声はさらに高まっていくのであった。 「我は、どうすればいいの……?」 絶望に満ちた(ように見えるが、実は幸せそうな)魔王の呟きが、心地よい波の音に溶けて消えていった。