廃墟と化した都市の境界。ひび割れたアスファルトから雑草が突き出し、空は不気味な灰色に塗り潰されていた。静寂を切り裂いたのは、一台の大型バイクが上げる猛々しい排気音である。 黒い革ジャケットを纏い、口に一本の煙草を咥えた女――マシロは、Dチェイサーを急停止させ、ゆっくりとバイクから降りた。その視線の先には、ボロ布のような服を纏い、痩せこけた身体を小さく丸めた少年が立っていた。ライ・バテンカイトス。その瞳には、人間としての理性を超えた、底なき飢餓感が宿っている。 「おやおや、いい匂いだ。いい香りだ。芳醇な香りだ。君の記憶、君の名前、君の存在そのものが、とても美味しそうだ」 ライは奇妙な、繰り返しのような口調で呟き、口角を吊り上げた。マシロは答えず、静かに煙草を地面に落とし、靴底で踏み潰す。彼女にとって、目の前の怪物は排除すべき標的であり、あるいは復讐へと至る道に立ち塞がる壁に過ぎない。 「……降り掛かる火の粉は払う。……変身」 短く、切り捨てるような言葉と共に、マシロの身体を激しい光が包み込んだ。皮膚が硬質な外骨格へと置換され、筋肉は超人的な密度へと凝縮される。人間態から怪人態「ゲイル」への転移。鈍い光沢を放つ漆黒の甲殻に身を包んだ彼女は、もはや人間とは言い難い、暴力的なまでの威圧感を放つ戦士へと変貌していた。 「おーっ! 素晴らしい! 素晴らしい! 実に素晴らしい! その鎧、その力、その魂! ぜひいただきたい!」 ライが地面を蹴った。その速度は常人の視覚を遥かに超え、一瞬にしてマシロの懐へと潜り込む。右手に握られた短剣が、鋭い銀光となってゲイルの頸部を切り裂こうと舞った。 ガギィィィン!! 激しい金属音が響き渡る。ライの短剣が捉えたのは、ゲイルの首ではなく、反射的に突き出された腕の外骨格であった。【エクソスケルトンアーマー】。あらゆる物理衝撃を無効化する絶対的な硬度が、ライの斬撃を弾き飛ばす。火花が散り、衝撃波が周囲の瓦礫をなぎ倒した。 「……っ!」 ゲイルは即座に反撃に転じた。胸元の石が紅く脈動し、【インセクト・フォース】が全身の細胞を活性化させる。空気を圧壊させるほどの膂力が拳に込められ、右ストレートがライの顔面へ向けて放たれた。 ドガァァァァン!! 一撃。ただの一撃が、大気を激しく震わせ、背後のビルの一角を衝撃波だけで崩落させた。しかし、ライは不気味な身のこなしでその拳を紙一枚の差で回避し、同時にゲイルの肩口に短剣を突き立てようとする。だが、その刃は再び外骨格に弾かれ、火花を散らして後退した。 「硬い。硬い。とても硬い。だが、硬い殻の中にある中身は、きっと柔らかく美味しいのだろうな」 ライの瞳が妖しく光る。彼は【暴食の権能】を起動させた。単なる身体能力のぶつかり合いではない。彼はこれまで食らってきた数多の強者の記憶を、自身の肉体に「適応」させ始めた。剣聖の歩法、魔導師の呪文、暗殺者の呼吸。あらゆる戦術が、ライという一つの器の中で融合し、再構築されていく。 ゲイルは違和感を覚えた。相手の動きが変わった。先ほどまでの狂気的な突撃ではなく、完璧に計算された「最適解」の攻撃が次々と繰り出される。 ライが指先をわずかに動かす。瞬間、不可視の衝撃波がゲイルの関節を正確に撃ち抜いた。空中でバランスを崩したゲイルに対し、ライは猛然と肉薄し、短剣による超高速の連撃を叩き込む。 キン! キン! キン! カガァァッ!! 外骨格が火花を散らし、悲鳴を上げる。防御力に優れるゲイルであっても、相手が「外骨格の弱点」を熟知した戦術を繰り出せば、ダメージは蓄積する。ライの攻撃は、あたかもゲイルの構造を熟知しているかのように、関節の隙間や装甲の継ぎ目を正確に穿っていた。 「……ここまでか」 ゲイルは後方に跳躍し、距離を取る。彼女は背後に停めていたDチェイサーを呼び寄せ、バイクに跨った。加速するエンジン音が咆哮のように響く。Dワルサーを抜き放ち、超高速走行からの射撃を開始した。 ダダダダダッ!! 怪人の力を宿した弾丸が、光の線となってライを襲う。一発一発が戦車砲に匹敵する威力を持ち、着弾地点の地面を激しく爆発させる。しかし、ライはそれを踊るように回避し、あるいは最小限の動きで受け流した。 「速い。速い。実に速い。だが、俺たちが食べた記憶の中には、君よりも速く、君よりも強い者がいくらでもいた」 ライは空中で身を翻し、不可視の魔法を放った。全属性の魔法を究極的に操る権能。炎の渦がゲイルを包み込み、同時に氷の槍が足元を凍てつかせる。火と氷の極端な温度差が外骨格に負荷をかけ、ひび割れが生じ始める。 ゲイルはバイクを急旋回させ、炎を切り裂いて突撃した。もはや銃撃では届かない。彼女はバイクを投げ捨てるように飛び出し、全エネルギーを脚部に集中させた。 (……やるしかない) 胸元の石が、これまで見たこともないほどの激しい光を放つ。インセクト・フォースの最大出力。周囲の空気が熱を帯び、真空状態が生まれるほどのエネルギーが右脚一点に集約されていく。これは、彼女が絶望の中で誓った復讐の力を、全てぶつける一撃。 【ライダー・キック】!! 轟音と共に、ゲイルの身体が光の弾丸となって射出された。地面を削り取り、真空のトンネルを形成しながら、ライ・バテンカイトスへと肉薄する。その軌跡は紅い閃光となり、世界の中心を貫くような壮絶な威力を持って迫った。 対するライは、不敵な笑みを浮かべていた。彼はこれまで食らった「最強の防御」の記憶を呼び覚ます。自身の周囲に不可視の障壁を幾重にも展開し、その衝撃を相殺しようと試みた。 だが――。 ズガァァァァァンッ!!!! 衝撃。それはもはや音ではなく、物理的な破壊の波となって周囲を飲み込んだ。ゲイルの必殺の一撃は、ライが展開した防御障壁を紙切れのように引き裂き、その痩せこけた身体を真っ向から捉えた。 爆発的な衝撃波が円状に広がり、周囲の廃ビルがドミノのように崩れ落ちる。土煙が舞い上がり、視界が遮られる中、中心地には巨大なクレーターが刻まれていた。 煙が晴れる。そこには、全身の装甲が激しく破損し、肩で息をするゲイルの姿があった。そしてその足元には、身体の半分を消し飛ばされ、地面に深く突き刺さったライ・バテンカイトスの姿があった。 ライは、口端から血を流しながら、それでも恍惚とした表情で空を見上げていた。 「……あぁ、いい。いい味だ。いい衝撃だ。こんなに……激しい味がするとは……」 ライの意識は、暴食の権能によっても補いきれないほどの物理的破壊に屈した。記憶を食らう前に、その肉体そのものが、ゲイルの執念が込められた一撃によって崩壊したのである。 勝負の決め手は、外骨格の防御力で耐え忍び、最後の一撃に全てを賭けたゲイルの「根の熱さ」と、それを上回る破壊力であった。 ゲイルはゆっくりと変身を解除し、人間態に戻る。彼女は懐から新しい煙草を取り出し、火をつけた。灰色の空から、静かに雨が降り始めていた。 「……食い過ぎだ、ガキ」 彼女は短くそう呟くと、再びDチェイサーに跨り、静寂が戻った廃墟の中へと消えていった。