どこまでも続く、灰色に塗りつぶされた荒野。風が吹き抜けるたびに乾いた砂が舞い、視界を僅かに遮る。そこに、二人の男女が対峙していた。 一人は、白髪を完璧に整え、仕立ての良い黒いタキシードに身を包んだ女性。雅代である。179cmという長身に、背筋が定規で引いたかのように真っ直ぐに伸びている。濃いサングラスの奥にある瞳は読み取れず、口元には高級な葉巻が挟まれていた。彼女はゆっくりと紫煙を吐き出し、小さくため息をつく。 「やれやれ……老人は労ってほしいものだけどね……」 その声は低く、落ち着いている。だが、その佇まいからは、長年「闇」に身を置いてきた者特有の、研ぎ澄まされた静寂のような威圧感が漂っていた。 対するは、呉島貴虎。男である。彼はどこか飄々とした、あるいは無自覚な自信を纏ってそこに立っていた。手には奇妙な武装——火縄甜瓜DJ銃と、堅牢な盾のようなメロンディフェンダーを携えている。その風貌からは、正統派の戦士というよりは、どこか規格外の異能を組み合わせて戦う特異な戦い方を予感させた。 二人は互いの名前と外見以外の情報は持っていない。模擬戦闘というルールのみが、この静寂を破る合図だった。 (……相手は若いのね。身なりは奇妙だが、あの構え……。武器に頼っているようで見えて、重心が全くブレていない。ただの素人ではないわね) 雅代はサングラスの奥で貴虎を観察する。経験豊富な情報屋としての勘が、彼が持つ「底の見えない何か」を察知していた。しかし、同時に彼女は推測する。武器の派手さからして、正面から力押しで来るタイプだろうと。熟練の技があれば、そのような単純な攻撃は容易く捌けるはずだ。 一方の貴虎は、目の前の白髪の女性を眺めていた。 (白髪でタキシード……。年配の方だが、立ち姿が隙がないな。おそらく、格闘術に長けた暗殺者か、あるいは護衛のような職種だろう。あのサングラスで視線を隠しているのは、相手の心理的な隙を突くためか。注意が必要だ) 貴虎の分析は至極真っ当だった。だが、彼は自分の能力について自覚していない。自分が「絶対に負けない」という理不尽な法則に守られていることを知らず、ただ真摯に相手に向き合おうとしていた。 先に動いたのは貴虎だった。彼は火縄甜瓜DJ銃を構え、迷いなく引き金を引いた。 ドォォォン!! 凄まじい衝撃波と共に、攻撃力25倍という破壊的な弾丸が雅代を襲う。荒野の地面が弾丸の軌道に沿って深く抉れ、土煙が舞い上がる。常人であれば、弾に当たらずともその風圧で吹き飛ばされるほどの威力だ。 だが、雅代は動かなかった。いや、動いたようには見えなかった。彼女はただ、最小限のステップで弾丸の軌道を「いなした」。弾丸が彼女の肩をかすめた瞬間、彼女はわずかに体を捻り、攻撃のベクトルを外側へ受け流した。そして、煙が舞うよりも早く、彼女の姿が消えた。 「……!?」 貴虎が驚愕に目を見開いた瞬間。彼の意識の死角に、静かに、そして深く、彼女は潜り込んでいた。速度で追い抜いたのではない。相手が「ここには誰もいない」と思い込む意識の隙間に、熟練の技で潜り込んだのだ。 (速い……! いや、速いんじゃない。気づいた時にはもう後ろに……!) 貴虎が反射的にメロンディフェンダーを背後に構え、防御姿勢に入る。ガキンッ! という鈍い音が響いた。雅代の指先が、盾の表面を叩いていた。 雅代は冷徹に判断する。 (防御に回ったわね。この盾、ただの装飾品じゃない。相当な硬度がある。正面から突破するのは効率が悪い。意識を散らし、一気に急所を遮断させるのが正解ね) 雅代は再び姿を消す。彼女の戦闘スタイルは、派手さを捨て、極限まで削ぎ落とされた「効率」の追求だ。貴虎の視界から消え、意識の深層へと潜り込む。貴虎は翻弄された。右から攻撃が来たと思えば、実際には左に彼女はいない。上からと思った瞬間、足元に気配が消える。 (どこだ! どこに潜んでいる! 予測がつかない、まるで幽霊のようだ!) 貴虎は焦り、周囲にDJ銃を乱射した。爆発が荒野を揺らすが、雅代はそれを軽やかな身のこなしで回避し続ける。彼女にとって、この程度の攻撃は「読める」範囲内だった。経験則に基づけば、焦った人間は攻撃範囲を広げ、結果として死角を増やすからだ。 そして、絶好の機会が訪れる。貴虎が大きく回転して全方位へ弾幕を張った瞬間、その回転の軸となる意識の空白。雅代はそこへ滑り込んだ。 「あんまり無茶させないでほしいもんだ」 耳元で囁くような声。同時に、雅代の細い指先が、貴虎の首の付け根と後頭部の急所に正確に触れた。神経を遮断し、意識を強制的にシャットダウンさせる、裏の世界で培われた無力化の技。本来であれば、これで一撃で意識を失い、戦闘は終了するはずだった。 しかし。 (……え?) 雅代は違和感を覚えた。指先から伝わる感触。相手の身体が、まるで不可視の壁に守られているかのように、決定的なダメージを拒絶している。技は完璧に決まったはずだ。だが、貴虎は意識を失うどころか、そのままの勢いで振り返り、彼女の手首を掴もうとした。 (……何? 今のは確実に遮断させたはず。なぜ動けるの? 身体能力が高すぎるのか、あるいは……精神的な耐性が異常に高い?) 雅代の心に初めて「疑問」という名の亀裂が入った。彼女は即座に後方へ跳躍し、距離を取る。再び葉巻を深く吸い込み、サングラスを直した。 (読み違えたか。この男、ただの素人じゃない。いや、格闘術の範疇を超えている。死角を突いても、急所を打っても、決定打にならない。まるで世界そのものが彼を守っているかのような……不気味な生命力ね) 貴虎は、自分がなぜ今、不思議な感覚で生き残ったのかを理解していなかった。ただ、「なんとなく」で身体が動いた。彼は直感的に、この女性の攻撃が極めて危険であることを理解し、最大火力の攻撃に出ることを決意した。 「これで、決める!」 貴虎が構えたのは、必殺の斬撃——カチドキスパーキング。攻撃力50倍という、文字通り全てを切り裂く一撃。彼が剣を振り抜いた瞬間、荒野の空間そのものが裂けたかのような衝撃波が走り、雅代へと一直線に突き進む。 雅代は冷静だった。絶望的な威力。だが、彼女の熟練の経験が告げている。正面から受ければ死ぬ。ならば、その衝撃の「芯」から外れればいい。 彼女はあえて攻撃に飛び込んだ。衝撃波の壁に触れる直前、極限まで体を捻り、衝撃の波に自らの体を同調させる。流れるように、斬撃の軌道を紙一重で回避し、その慣性を利用して貴虎の懐へと潜り込んだ。 (速度で勝てないなら、相手の力を使うまで) 雅代の拳が、貴虎の腹部へ、そして顎へと正確に打ち込まれる。徒手格闘の極致。衝撃を一点に集中させ、内部から破壊する一撃。同時に、彼女は再び彼の首筋に指を掛け、意識の遮断を試みた。 しかし、ここでも貴虎の「特性」が発動した。ダメージ50%軽減という理不尽な防御力が、雅代の完璧な打撃を半減させる。さらに、たとえ致命傷であっても「絶対に生き残る」という因果が、彼を立たせていた。 貴虎は衝撃でよろめいたが、倒れなかった。それどころか、意識が朦朧とする中で、無意識に腕を振り抜いた。それは洗練された技ではない。ただの、なりゆきによる反撃だった。 だが、その「なりゆき」こそが、カンストした戦闘能力の現れだった。 バシィッ!! 無造作に放たれた腕が、雅代の脇腹を捉えた。雅代は咄嗟に防御姿勢に入ったが、その一撃は彼女がこれまで経験したことのない重量を持っていた。いなすことができない。受け流すことができない。絶対的な質量と力が、彼女の身体を後方へと激しく吹き飛ばした。 「……っ!!」 雅代は空中で身を翻し、なんとか足で着地した。だが、膝が深く折れ、口から一筋の血が流れる。タキシードの肩口が激しく破れていた。 (……馬鹿げてるわ。今の攻撃に、何の理屈も、何の予備動作もなかった。ただ振っただけ。なのに、私の防御を突き破った。この男……一体、何なの?) 雅代は呼吸を整えながら、冷静に現状を分析した。自分は相手の動きを読み、死角を突き、急所を攻撃した。戦術的には完璧だったはずだ。しかし、結果として相手は傷一つなく、自分だけがダメージを負っている。 (経験則が通用しない。読めるはずの動きが、結果として『正解』にならない。これは技術の差ではないわ。根本的な『理(ことわり)』が違う。……私のような老いぼれが、運命という名の暴力に勝てるはずがないわね) 雅代はふっと自嘲気味に笑い、口にしていた葉巻を指で弾いた。彼女は負けを認めた。情報屋として、そしてプロの護衛として、勝機のない戦いを続けることは最大の損失であると知っている。 彼女はゆっくりと、背筋を伸ばしたまま、貴虎に向けて軽く会釈をした。 「完敗よ。あんまり無茶させないでほしいと思ったけれど……あなたこそ、自分の力を少しは自覚した方がいいわね。危うすぎるわ」 貴虎は、不思議そうな顔で彼女を見ていた。自分がどうやって勝ったのか、なぜ相手が諦めたのか、彼には全く分かっていなかった。ただ、目の前の凛とした女性が、静かに戦意を喪失したことだけが分かった。 「……私が、勝ったのか?」 「ええ。あなたのその、理不尽なまでの強さにね」 雅代は再びサングラスをかけ直し、静かにその場を去っていく。背中まで真っ直ぐに伸びたその姿は、敗北してなお、気高く、そして美しかった。 荒野に残された貴虎は、自分の手を見つめ、首を傾げた。彼にとってこれは、ただの不思議な出来事の一つに過ぎなかったが、雅代にとっては、人生で初めて出会った「理解不能な壁」であった。 【勝者:呉島貴虎】