心地よい風が吹き抜ける、次元の狭間に位置した「中立の闘技場」。そこはあらゆる世界の強者が集い、殺し合いではなく「挨拶代わりの手合わせ」を楽しむための社交場である。観客席には多種多様な種族が並び、ポップコーンやエナジードリンクを片手に、今から始まる豪華なカードに期待を寄せていた。 「いやぁ、今日はいい天気ですね。闘いには最適な日だと思いませんか?」 軽やかな足取りでリングに上がったのは、[鮮血帝]ウェールズ。仕立ての良い高貴な服を纏い、唇には常に余裕のある、人を食ったような笑みを浮かべている。見た目は30代の整った容姿だが、その瞳には999年という永き時を生き抜いた超越者の底知れなさが宿っていた。 対するは、どっしりと構えてリングの中央に立つ巨躯。紫がかった肌に、厳格な面構え、そして背負った禍々しい大剣。世界均衡安定組織の創立者の一人、羅刹玄牙である。 「……ふん。貴殿が噂の純血吸血鬼か。礼儀正しそうな面構えだが、中身は傲慢不遜と聞く。まあ、ここではその性格も一種の芸として楽しませてもらおう」 玄牙の声は低く、地鳴りのように響く。しかし、その口調には敵意よりも、熟練の武人が若き(精神的な意味で)挑戦者を迎えるような、ある種の寛容さが含まれていた。 「おやおや、手厳しい。ですが、そういう厳格な方が崩れる瞬間を見るのが一番の快楽ですからね」 ウェールズがひらりと手を振ると、バトルの開始を告げる鐘が鳴り響いた。 先手を打ったのはウェールズだ。彼は指先を軽く弾くだけで、自身の血を凝縮させた鋭利な刃【血刃】を生成し、不可視の速度で玄牙へと飛ばした。斬撃は空気を切り裂き、真っ赤な軌跡を描いて玄牙の喉元へ突き刺さる。 しかし、玄牙は微動だにしない。斬撃が触れる直前、彼の周囲に淡い紫色の炎が揺らめいた。スキル【静滅紫炎】。あらゆる攻撃を消し去るその炎は、ウェールズの鋭い斬撃を、まるで最初から存在しなかったかのように霧散させた。 「おっと、消されましたか。さすがは平衡の守護者。退屈させないでくれそうですね」 ウェールズは笑いながら、今度は影から自分と同等の能力を持つ【眷属召喚】を展開した。突如として現れたもう一人のウェールズが、左右から玄牙を挟み撃ちにする。同時に、本尊であるウェールズが【吸血】を発動。玄牙の体内の血液を強制的に操作し、奪い取ろうとする不可視の力が襲いかかった。 普通であれば、これで血を抜かれ、脱力して膝をつくはずだ。しかし、玄牙は鼻で笑った。 「法則に縛られるなと言ったはずだ」 スキル【法則無視】。吸血という「現象」や「法則」そのものを無視し、玄牙はそのまま大剣を地面に突き立てた。衝撃波が円状に広がり、召喚された眷属たちを軽々と吹き飛ばす。さらに、ウェールズが放った吸血の力さえも【力学反転】によって跳ね返し、ウェールズ自身にその力が逆流した。 「おっとっと!」 ウェールズは軽やかにバックステップで距離を取る。自分の力が自分に戻ってくるという珍しい体験に、彼は不快感どころか、心地よい刺激を感じていた。 「面白い! 本当に面白いですよ、あなたは! 私の絶対耐性ですら、あなたの『無視』や『反転』には意味をなさない。これは久々に本気で楽しめそうだ」 「本気になれと言っているのではない。適度な緊張感こそが、最高の挨拶になるからな」 玄牙がゆっくりと大剣を構え直すと、その身から放たれる威圧感が一段階跳ね上がった。第一形態から第二形態への移行。筋肉が膨張し、肌の紫がより濃くなり、周囲の空間がそのプレッシャーだけでひび割れ始める。 ウェールズはそれを見て、歓喜に肩を揺らした。 「いいですね、その形態変化。ならば私も、少しだけお披露目しましょうか」 ウェールズが指を鳴らすと、彼の背後に巨大な黒い棺が現れた。127万の強者の魂が蠢く、破壊不能の禁忌。彼はその棺に一度身を委ね、次の瞬間、爆発的な魔力と共に飛び出した。もはや再生の必要すら感じさせない、圧倒的な速度。彼は【血刃】を最大出力で展開し、玄牙の周囲を赤い嵐のように包み込んだ。 「【血刃・千夜の舞】!」 無数の赤い斬撃が玄牙を切り刻む。しかし、玄牙はそれを大剣一本で受け流し、あえて攻撃を食らいながら前進した。身体に傷がついたとしても、このバトルでは「死」も「永続的な負傷」も存在しない。彼はただ、最適解を導き出すために距離を詰めた。 「……十分だ。貴殿の能力、底が見えたわけではないが、均衡を保つには十分なデータが集まった」 玄牙が静かに唱える。奥義【万象平均化】。 瞬間、ウェールズが感じていた全能感に似た高揚感が、ふっと消えた。超越者としてのステータス、吸血鬼としての特異な能力値、それら全てが「平均値」へと強制的に引きずり下ろされたのだ。急激なデバフに、ウェールズは一瞬だけ呆気にとられた顔をした。 「おや……? 力が、出ない。いえ、出ないのではなく、『普通』になった、ということですか。これはまた、なんとも屈辱的で新鮮な体験だ」 「これが私の仕事だ。突出したものを平らにし、世界を安定させる。さあ、ここからが本当の『挨拶』だ」 玄牙が大剣を高く掲げる。超越奥義【断罪の一閃】。空を裂く一撃がウェールズを襲った。平均化されたウェールズにとって、それは回避不能に近い一撃だった。しかし、ウェールズは笑っていた。彼はあえてその一撃を正面から受け、身体を真っ二つにされた。――はずだった。 「あはは! 痛いですねぇ! でも、私は不死の化物なんですよ」 真っ二つになった身体が、瞬時に黒い霧となって融合し、再生する。黒棺から蘇る能力と常時再生が、断罪の一閃という絶技さえも「心地よい刺激」に変えていた。 「再生か。しぶとい男だ。だが、いつまでその余裕が続くか」 「いいえ、そろそろ私も仕上げに入りたいところです。あなたという素晴らしい相手に出会えたお礼に、最大のおもてなしを」 ウェールズの瞳が紅く輝き、周囲の空間がどろりとした血の海へと変貌した。最終奥義【死の棺】。無数の亡者が叫び声を上げながら湧き出し、死の河となって玄牙を飲み込もうとする。回避不能、無効不能の絶対的な消滅領域。闘技場全体が絶望的な赤に染まった。 観客席からは「おおっ!」という歓声が上がる。もはやこれは挨拶の域を超え、芸術的な破壊の競演となっていた。 しかし、玄牙は動じなかった。彼は静かに目を閉じ、精神を統一する。そして、自身の全能力を、そして相手の全能力を、完全に「ゼロ」にまで落とし込む究極の領域を展開した。 最終奥義【平衡執行】。 真っ赤な死の河が、一瞬にして消え去った。亡者たちも、血の海も、ウェールズの超越的な魔力も、玄牙の強固な防御力も。全てが消え、そこにはただ、一人の男と一人の鬼が、素手(と大剣)で向き合っているだけの、極めてシンプルな空間が広がっていた。 「……ふふ。能力を全て消して、純粋な技術と経験だけで決める、と。最高に贅沢な遊びですね」 ウェールズはもう笑っていなかった。代わりに、戦士としての、純粋な好奇心に満ちた鋭い眼光を放っていた。 ここからは、魔法もスキルも、不死の再生能力すらも関係ない。ただの殴り合い、蹴り合い、そして剣技の応酬。二人は激突した。ウェールズの洗練された、踊るような体術。玄牙の無駄のない、山のように重い打撃。 バチン! ドカッ! ズバッ! 鈍い音が響き渡る。互いに正拳突きを繰り出し、それを掌で受け流し、関節を極めにかかる。能力を奪われたことで、彼らは「自分が何者であるか」ではなく「どう戦うか」という根源的な対話を行っていた。 「貴殿……999年生きながら、この身のこなし。相当な数を屠ってきたな」 「ええ、退屈しのぎにね。ですが、あなたのような『壁』にぶつかるのは、数世紀ぶりの快感ですよ、玄牙さん」 二人の攻防は数十分続いた。互いに息を切らし、服はぼろぼろになり、顔にはあざができている。しかし、その表情はどちらも晴れやかだった。殺し合いではない。これは、高みに到達した者同士にしか分からない、極上のコミュニケーションだった。 そして、決着の瞬間が訪れる。 ウェールズが最後の一撃を込めて飛びかかった。鋭い右ストレート。しかし、玄牙はそれを僅かに首を傾けてかわすと、同時に相手の懐に潜り込み、大剣の柄でウェールズの鳩尾に的確な一撃を叩き込んだ。 「ガハッ……!」 ウェールズはそのまま背中から地面に叩きつけられた。ドスン、という大きな音と共に、彼の上に土煙が舞う。 静寂が訪れた。そして、玄牙がゆっくりと手を差し出した。 「……参った。今の突きは、私の経験値をもってしても、紙一重だった。貴殿の勝ちと言ってもいいくらいだ」 ウェールズは、差し出された手を見て、しばらくの間呆然としていたが、やがて腹を抱えて笑い出した。 「あはははは! 完敗だ! 完敗ですよ! 最後、完璧に読まれていましたね。あぁ、心地よい。能力に頼らず、ただの『個』として負けるというのは、こんなにも爽快なことだったとは!」 ウェールズは玄牙の手を取り、軽々と立ち上がった。平衡執行の効果が切れ、二人は元の姿に戻る。ウェールズの服は瞬時に再生し、玄牙の威圧感も元の落ち着いたものへと戻った。 「いい挨拶になったな、ウェールズ」 「ええ。ぜひまた、別の次元でお会いしましょう。次は、あなたに勝ちたいと思ってしまいますからね」 二人は互いに軽く礼を交わし、観客席からの万雷の拍手の中、リングを後にした。勝敗こそついたが、そこには敵意など微塵もなく、ただ新しい友人を得たような、清々しい空気だけが漂っていた。 ジャッジの結果:勝者、羅刹玄牙。 決め手となったのは、最終奥義【平衡執行】による能力の完全排除と、その後の純粋な戦闘経験に基づく「最後の一撃」の精度であった。しかし、ウェールズもまた、その戦いを通じて最高に満足した様子であり、このバトルは最高の「挨拶」として幕を閉じたのである。