北方の冷たい風が吹き抜けるヴァレンティナ王国。白銀の雪に覆われた城下町に、場違いなほど色鮮やかな色彩が舞い降りた。 【魔剣皇女】リアン・ヴァレンティナは、執務室の窓からその光景を眺めていた。金色の長い髪を風になびかせ、冷徹なまでに澄んだ瞳が、空を舞う極彩色の翼を捉える。彼女の傍らには、不吉なまでの闇を纏った伝説の魔剣シュバルツが静かに佇んでいた。 「……不法侵入か。それとも、何らかの使者か」 リアンの声は低く、温度がない。しかし、その視線には国を想う女王としての鋭い警戒心が宿っていた。彼女にとって、この静寂に満ちた北の国に、突如として現れた「異物」は無視できない存在だった。 一方、空から舞い降りたのは【驚楽の魔凰】サプラである。赤と青の鮮やかな羽を誇らしげに広げ、彼女は軽やかな動作で城のバルコニーへと降り立った。彼女の瞳には、この厳格で冷え切った城の雰囲気に、最高の「刺激」を見出そうとする好奇心が満ち溢れている。 「あらあら! なんて素敵に凍てついたお城かしら! この静寂、この緊張感……ここに『驚き』の一撃を投じれば、一体どんなお顔をなさるのかしらね!」 サプラは芝居がかった身振りで、自らの胸に手を当ててクスクスと笑った。彼女にとって世界は巨大なステージであり、出会う人々はその観客か、あるいは共演者である。 バルコニーの扉が静かに開き、リアンが姿を現した。軽い鎧に身を包んだ彼女の佇まいは、まるで研ぎ澄まされた氷の彫刻のように美しく、そして冷たい。 「貴殿が何者かは知らぬが、許可なく王宮に足を踏み入れた罪は重い。正体を明かせ。さもなくば、シュバルツにその翼を切り落とさせる」 リアンの口調は冷徹だった。情に流されず、的確に状況を判断し、排除する。それが女王としての、そして騎士団長としての彼女の在り方だ。しかし、その脅しに近い言葉さえも、サプラにとっては最高のスパイスに過ぎなかった。 「まあ! 初対面の挨拶がそれだなんて、なんて刺激的なお出迎え! 嬉しいわ、本当に嬉しい! 私はサプラ。驚きと感動を届ける旅のエンターテイナーよ。貴女のような凛としたお嬢様に、私の最高のショーを見せてあげたいと思ってね!」 サプラはくるりと一回転し、華麗な礼をした。その動作一つひとつが計算された舞のように美しく、同時に周囲の空気をかき乱す。リアンは眉ひとつ動かさず、冷ややかな視線を向けたままである。 「ショーだと? 私は国政と訓練に追われており、暇はない。貴殿の戯れに付き合っている余裕など、我が国には一秒たりとも存在しない」 「あらあら、なんて堅物さん! でもね、そういう方が驚いた時の反応は格別なのよ。ねえ、お願い。少しだけ時間をくれないかしら? その代わり、貴女が今まで経験したことのない『驚き』をプレゼントしてあげるわ」 サプラがいたずらっぽく微笑み、指先をパチンと鳴らした。すると、彼女の周囲に小さな火の粉と水の雫が舞い、幻想的な光の輪が描かれる。攻撃的な魔力ではないが、見る者を惹きつける華やかな演出だった。 リアンはふっと溜息をついた。本来であれば、即座に拘束し尋問にかけるべき相手だ。しかし、サプラから放たれる気配に、明確な敵意や殺意は感じられなかった。あるのは純粋な、そして底なしの好奇心だけである。 「……ふん。貴殿のような奔放な種族が、この静謐を好むはずもない。だが、その能力、単なる手品ではないことは認める。……ちょうど、執務の合間に気分転換が必要だと思っていたところだ」 「あら! 今、心を開いてくれたかしら! さあ、この一瞬を楽しみましょう!」 サプラは歓喜に浸り、ふわりとリアンの周囲を飛び回り始めた。金色の髪がサプラの翼が起こす風に揺れる。リアンはそれを避けることもせず、ただ静かに、しかし警戒を解かずに見つめていた。 「で、その『驚き』とやらは、具体的に何を指す。私の時間を奪うに値する価値があるのか」 「うふふ、秘密よ! 驚きを先に教えるなんて、そんなの台本なしの即興劇に台本を配るようなものだもの。でもね、例えば……この寒々しいバルコニーに、一瞬にして南国の花園を咲かせたらどうかしら?」 「……不可能だ。この地の魔力特性と気候では、植物の瞬間的な育成は効率が悪すぎる」 「そういう理論的なところも素敵! でも、魔法とは『驚き』を形にすること。効率なんて二の次よ!」 サプラはそう言うと、翼を大きく羽ばたかせた。彼女の赤と青の羽が激しく輝き、小さな火球が空中で弾ける。それは攻撃ではなく、色鮮やかな花火となって夜空(あるいは白銀の空)を彩った。パチパチと弾ける光が、リアンの冷徹な瞳に反射する。 リアンは、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、口角をわずかに上げた。それは微笑みと呼ぶにはあまりに微かなものだったが、彼女の中にある「個」としての好奇心が、わずかに刺激された証だった。 「……稚拙な演出だ。だが、視覚的な効果だけは認めよう」 「まあ! 今、褒めてくれたわね! 嬉しいわ、このサプラ、感激しちゃう!」 サプラはそのままリアンの肩に飛び乗ろうとしたが、瞬時にシュバルツの切っ先が彼女の喉元に突きつけられた。速さはサプラが上だったはずだが、リアンの反応速度と、魔剣の不可視の圧力がそれを阻んだ。 「……馴れ馴れしく触れるな。私は女王だ。礼節を忘れることは許さん」 「あはは! やっぱり最高! この距離感、この緊張感! 貴女とのやり取りは、どのサーカス団の演目よりもスリリングだわ!」 喉元に剣を突きつけられながらも、サプラは心底楽しそうに笑っていた。死の危険さえも彼女にとっては「刺激」の一部なのだろう。リアンは呆れたように剣を引き、小さく溜息をついた。 「……正気ではないな。貴殿のような人間(種族)が、どうしてこの世に存在し得るのか」 「それが私の美学だからよ。ねえ、リアン様。もしよろしければ、貴女が国政の疲れを忘れたい時に、いつでも呼んでちょうだい。最高に驚く、最高に愉快なショーを披露してあげるから!」 サプラは再び空へと舞い上がり、自由奔放に円を描いた。彼女にとって、この冷徹な女王との出会いは、人生における新しい「驚き」のページに刻まれたことだろう。 「……勝手にしろ。ただし、次に不法侵入した時は、本当に切り裂く」 「ええ、楽しみにしてるわ! さあ、次なる驚きを探して出発しましょう! さようなら、美しい氷の女王様!」 色鮮やかな翼が空に溶けて消えていくまで、リアンはその背中を見送っていた。再び静寂が戻ったバルコニー。しかし、先ほどまでの静寂とは少しだけ色が違っていた。 「驚き、か……」 リアンは独りごちると、再び執務室へと戻った。積み上げられた書類、終わりのない国政。変わらぬ日常。しかし、彼女の心には、あの極彩色の羽が残した小さな火種のような余韻が、かすかに残っていた。 「シュバルツ。……たまには、不合理な時間があっても良いのかもしれないな」 魔剣は答えなかったが、その闇に潜む魔力は、主のわずかな心の揺らぎに共鳴するように、静かに脈打っていた。 こうして、北国の冷徹な女王と、空飛ぶ快楽主義者の、奇妙で短い邂逅は幕を閉じた。だが、サプラが撒いた「驚き」の種は、確実にリアンの心という凍土に植え付けられたのである。