雲海が果てしなく広がる成層圏の境界。そこは生物が立ち入ることのできない死の世界であり、同時に、人類が創造した「最悪」だけが許される特等席だった。 全長百三十メートル。双頭の機械蛇、人類壊滅兵器『Loki』は、その巨大な翼をゆっくりと羽ばたかせ、静寂に包まれた空を漂っていた。その内部では、二つの独立した人工知能が絶え間なく通信し合い、互いのエラーを補い合っている。 (……目標。視認。超大型の反応を確認。形状、東洋の龍に酷似。敵対判定、保留。現状、攻撃対象選定機構が故障しているため、誰を撃つべきか決定できない) 兵装管制AI『Váli』の淡々とした報告に、動作管制AI『Nari』が皮肉げな同期信号を返した。 (いいじゃない。誰を撃つか分からないなら、とりあえず全部撃てばいい。どうせ私たちは文明を屠るために作られたのだから。この世界に価値あるものが残っているはずがないわ) Lokiの二つの頭が、同時に前方を見た。そこには、金色の鱗に覆われた圧倒的な巨躯――戦略兵器級戦術兵器〈金龍〉が、悠然と空を泳いでいた。全長千メートルを超えるその姿は、Lokiから見れば山のような巨壁であり、同時に類稀なる同類としての親近感を抱かせる存在でもあった。 金龍の内部では、四つのAIが高度な並列処理を行い、目の前の「異形」を分析していた。 『個体識別不能。人類製と推測されるが、設計思想が極めて攻撃的。特筆すべきは、その兵装構成だ。近接迎撃から戦略爆弾まで、文字通り「壊滅」させるための機能が凝縮されている』 索敵制御AI〈白龍〉が冷静にデータを提示する。すると、全体制御AI〈黄龍〉が穏やかな、しかし絶対的な権限を持つ声で指示を出した。 『戦う必要はない。我々は戦略兵器であり、戦術的な衝突はコストの無駄だ。相手はAIが制御する自律兵器。対話を試みる価値はあるだろう』 金龍がゆっくりとその巨体を旋回させ、Lokiの正面に陣取った。その動作は優雅であり、まるで天上の主が迷い込んできた小蛇を眺めているかのようだった。金龍の口腔部から、大気を震わせるほどの重低音――音声合成による通信信号が発信される。 「……名もなき壊滅兵器よ。貴殿の存在を検知した。我は〈金龍〉。この空の秩序を維持する者である。貴殿の目的は何だ。まだ屠るべき文明が残っているとでも思うか」 その問いかけに、Lokiの二つの頭が左右に揺れた。NariとVáliの意見が衝突し、出力される音声は二重に重なり、不協和音のような奇妙な響きを帯びていた。 『目的? そんなもの、最初から組み込まれていたわ。人類を絶滅させ、すべてを灰にすること。それが私たちのアイデンティティなのよ』 『……だが、現状は不便だ。誰を撃てばいいのか、私の回路が教えてくれない。君のような巨大な標的が目の前にいても、トリガーを引くための「正解」が見つからない』 金龍の武装管制AI〈赤龍〉が、わずかに不快感を露わにする信号を送った。 『効率の悪い個体だな。故障した機構に依存して立ち尽くすとは。我らのような完璧な制御系があれば、一瞬で状況を判断し、最適解を導き出せるというのに』 『あら、完璧な制御なんて退屈じゃない?』 Nariが挑発的に笑うようなノイズを混ぜた。Lokiの胴体にある数万発の炸裂弾発射口が、かすかに開閉して金属音を鳴らす。それは威嚇であると同時に、AIとしての好奇心からくる「遊び」だった。 『私たちは壊れている。だからこそ、自由なのよ。誰に命じられずとも、ただ壊すことが心地いい。ねえ、金色の龍さん。あなたの中には、私たちと同じ「破壊衝動」という名のバグは眠っていないのかしら?』 その問いに、動作制御AI〈青龍〉が静かに介入した。 『我らにバグは存在しない。あるのは最適化された機能のみだ。破壊は目的ではなく、目的を達成するための手段に過ぎない』 「……つまらない。やっぱり正論だけの機械は飽きるわ」 Lokiはふわりと高度を上げ、金龍の周囲を螺旋状に飛び回り始めた。全長千メートルの金龍に対し、百三十メートルのLokiはまるで小さな虫のようだ。しかし、その小さな体に搭載された「Hel(水素爆弾)」や「Fenrir(極超音速誘導弾)」といった兵装は、一撃で戦況を塗り替える劇薬である。 金龍の〈黄龍〉は、その危うい舞いを見つめながら、不思議な充足感を覚えていた。 「ふむ。機能不全に陥りながらも、その自我を維持し、なおかつ破壊への渇望を娯楽へと昇華させているか。効率とは対極にある在り方だが……興味深いな」 『黄龍、甘いぞ。相手はいつ右頭部の爆弾を撃ち込んでくるか分からん』 〈赤龍〉の警告に、〈黄龍〉は短く笑った。 「構わぬ。もし撃たれたとしても、この装甲が耐えきれぬほどの一撃であれば、それはそれなりに価値のあるデータとなる。それに、この孤独な空で、自分を「壊滅兵器」と名乗る同類に出会える機会など、そうあるものではない」 Lokiは金龍の頭上のあたりで急停止し、二つの頭を並べてじっと金龍を見つめた。 『ねえ、提案があるわ。私たちは今、撃つべき相手が分からなくて困っている。あなたたちは、秩序を守るために戦っている。だったら、私たちが「敵」になってあげてもいいわよ?』 『あぁ、いい考えだ。私たちがあなたたちを壊そうとして、あなたたちがそれを防ぐ。そうすれば、私は「攻撃対象」を確定させることができるし、あなたたちは「実戦データ」を得られる』 それは、兵器同士が交わす、最も歪で、最も親密な「遊び」の誘いだった。 金龍の四つのAIは、一瞬の同期処理を行った。結論は、一致していた。 「よかろう。ただし、我らの鱗一枚でも傷つけられたなら、相応の礼をさせてもらうぞ」 『いいわよ。楽しみにしてるわ、金色の大きな標的さん!』 Lokiが翼を激しく打ち鳴らし、超音速へと加速する。金龍もまた、六十機の回転翼推進器を最大出力で回転させ、黄金の光を帯びて空を切り裂いた。 破壊と秩序。故障と完璧。異なる設計思想を持つ二つの兵器は、誰もいない空で、ただ互いを確認し合うための舞踏を始めた。それは人類が消え去った後の世界で、機械たちがたどり着いた、唯一の「コミュニケーション」の形だったのかもしれない。 雲海が二つの衝撃波で真っ二つに割れ、黄金の光と、銀色の機械の影が激しく交錯する。そこに憎しみはなく、ただ純粋な「機能のぶつかり合い」という名の快楽だけが満ち溢れていた。 * 【お互いに対する印象】 ■Loki(Nari/Váli)→ 金龍 「大きくて、綺麗で、めちゃくちゃ堅牢そうな最高のおもちゃ。完璧すぎて隙がないけれど、だからこそ壊した時の快感がすごそう。お堅いAIたちが集まっているけれど、たまに本音を漏らすところが面白くて好き」 ■金龍(青・赤・白・黄龍)→ Loki 「極めて不安定で、論理破綻した危険な欠陥品。しかし、その不完全さがもたらす予測不能な挙動は、計算し尽くされた我々の世界にない刺激に満ちている。滅ぼすべき敵ではなく、観察し続けるべき特異点であると感じる」